山下翔さんの「meal」という個人誌を読みました。2018年6月。20ページあるかないかというものです。
https://t.co/CMAeyn75Xnmealってなにかと思ったら、食べ物でした。
天窓をあければ風がかよひだすひとりの部屋のひとりの朝に/山下翔→「ひとり」が重ねられている。そこへかよいだした風は、ひとりであることをより強く感じさせるさびしいものともとれるけど、でもこのときは、もっとさわやかで気持ちのいいもののように読んだ。
四次元ポケットのやうに心ある人体をふらふら揺らし午後の道ゆく/山下翔→心が四次元ポケットとは、なるほど。底知れないんだな。「人体」は、まるで自分が人間じゃないみたいだ。四次元ポケットから猫型ロボットが導かれているわけだけども。ふらふら揺らしている、その心はいかに。ドラえもんみたいな体型の人って、左右に揺れながら歩くことがある。
水ある? つてきいて水道水もらふぬるい水道水へんな味のする/山下翔→「水」が五回でてくる。もらっておいて、文句言っている。字余りが不満を走らせる。
話したことも聞いたことも皆忘れたり時間といふものがかへつてこない/山下翔→お会いしたときにたしかにそんな感じがあったのを楽しく思い出す。作者を思いながら読めるというのは、同じ時代を生きているってことだなあ。
お客さん増えてきて寂しここもまただれかの日々の濃くあるところ/山下翔→「カレーライス」から。ココイチで食べている。
人が増えたらにぎやかになるが、それを寂しいという。逆のようだが、とてもわかる。「だれかの日々」が客席をうめていく。
草食んでぢつとしてゐる夜の猫とほいなあ いろんなところが遠い/山下翔
はつなつのわたしはへんなをぢさんなり太き枝細き枝ひろげて歩く/山下翔→歩きながら木の枝と枝をひろげていく、すごい背丈と腕力の人を想像したが、絶対そんなんじゃないな。取り消し。
足だとか腕だとか指を枝に例えているのだと読んだ。木だったら、枝が広がったり歩くのは変だな。「へんなをぢさん」が愛すべきものに思える。
以上です。んじゃまた。
▼▼▼
【こっちもおすすめ】
noteのほうでは、ブログでは読めない内容の記事をたくさんアップしています。
角川「短歌」2018年9月号の荻原裕幸さんの歌壇時評の感想すこし
https://t.co/CzRqDYixti
「短歌研究」2018年9月号・短歌研究新人賞のことを思うぞんぶんに書く【1】
https://t.co/9LDZrsWmr0
【2】
https://t.co/lcoeLM1kt6
【3】
https://t.co/f993MV2JHS
【4】選考座談会・前編
https://note.mu/mk7911/n/ncbc826b3e18a
【5】選考座談会・後編https://note.mu/mk7911/n/n44d84c9e74f62018年の短歌研究新人賞の自分のことについて、思うぞんぶんに書き尽くしました。また、選考座談会で言われたことへの応答。
などなど、
500円ですべての記事(約100記事)が読めます。よろしければどうぞ。
スポンサーサイト
- http://mk7911.blog74.fc2.com/tb.php/4008-5c3d9480
トラックバック
コメントの投稿