東直子『十階』を読む  ~焼野原かもしれないけれど、ほか


東直子さんの『十階』を読んだ。「短歌日記2007」ということで、三百六十五日の短歌と短い文章がある。このシリーズを読むのは初めて。
ふらんす堂。



つきあたりを曲って上に出てみれば焼野原かもしれないけれど/東直子『十階』
→上に出れば焼野原ってことは、地下を歩いているのだと読んだ。たしかに地下にいるあいだには地上のことはわからない。なにごともない前提でいるけど、地上が一変している可能性もなくはない。
上に出る前に「つきあたりを曲って」いる。このつきあたりが世界を変えている気がする。マジックでいうと、三つ数えて指を鳴らすような役割がこの「つきあたり」にあるんじゃないか。
つきあたりで人とぶつかってその後の運命が変わるなんて話もある。



だれもうしろをふりかえらない乗り換えのための通路で落としそうです/東直子『十階』
同じ作者の

おねがいねって渡されているこの鍵をわたしは失くしてしまう気がする

と合わせてみたい。オレのなかの「この短歌を読んだ人はこの短歌も読んでいます」でつながっている。
なくしてしまうのを予感しているし、どこで落とすのかまでうすうすわかっている。それなのに、まんまとなくしてしまうと。なくすのをとめられない。
乗り換えのための通路ではだれもうしろをふりかえっていないというのはすごい観察だ。



あんなあ、と言うタケちゃんの物語ヒマラヤ杉のあたりまできた/東直子『十階』
→「あんなあ、」だけでタケちゃんのキャラが立ち上がってくる。くだけたしゃべり方だ。
「ヒマラヤ杉のあたり」はその物語を知っている人にだけ通じる。読者は置いていかれるが、タケちゃんとヒマラヤ杉になんの関わりがあるのか、想像を刺激する。


こゑひくき帰還兵士のものがたり楚火を継がむまへにをはりぬ/斎藤茂吉

という歌を思い出す。三句が同じだ(表記はちがうけど)。
「あんなあ」と「こゑひくき」、
「ヒマラヤ杉」と「焚火」、
「あたりまできた」と「をはりぬ」。
いろいろ響きあっている。



夜は実にさみしい朝を連れている ハンカチ落としのハンカチがない/東直子『十階』
→ハンカチ落としってなつかしい。オニが輪の外側をぐるぐる走るんだよな。上の句とつきあわせてみると、そのぐるぐる走るのが時計の針みたいに思えてきた。
ハンカチ落としなのにハンカチがないとは何か。ハンカチによってオニが交替するわけだから、ずっと一人がオニとして回ってるってことか。



青色に空を塗る子と白いまま残すわたしと 法廷は続く/東直子『十階』



こんなに高いところまできて鳴いている終わらぬものはないと鳴いたか/東直子『十階』

→「こんなに高いところ」は十階のことだ。3/17の歌だから、その頃にいる鳥だな。日付がなかったらセミの歌と思うかも。
鳴くこえに「終わらぬものはない」を受けとるのが鋭くおもしろい。



二句が六音になっている歌が多い気がして、数えた。三月がおわる時点までで12首ある。90首のうちの12首だ。



ぼくはなにも知らなくていい場所にいたガラスを伝う粒を見つめて/東直子『十階』
→雨に濡れたこともなさそうな「ぼく」だ。ガラスを伝うその粒が「雨」であることを、この「ぼく」が知っているかどうか。



洗面器の水面ふるえやまぬなり人語を解す水かもしれず/東直子『十階』
→人の言葉に対して、洗面器の水は恐怖でふるえているのか。それとも一体どんな反応なのか。それがこちらにはわからない。人には水の言葉が理解できないのだ。



濡れるとき色を濃くする人立ちてこちらに一歩一歩近づく/東直子『十階』



てのひらを広げて受け取ろうとする 無知なる者ののみ住む世界/東直子『十階』

→7/16の歌。
「雨が降っているかどうか、皆、てのひらを広げて確かめている。/無防備な姿だと思う。」と文章が添えられている。たしかに、雨をさわってたしかめるという行為には知性が感じられない。「知」のとらえかた。



千年ののちに生きている杉へ言葉をひとつあずかってください/東直子『十階』



路上喫煙全面禁止エリアにて開くコミック雑誌の叫び/東直子『十階』

→漢字が並んではじまる。路上喫煙全面禁止。これは「叫び」から遠い言葉だ。喫煙はできないがコミックの人物はぞんぶんに叫んでいる。いや、不自由を叫んでいるのか。



息をするかたまりとして目を開けて靴を履くとき人間である/東直子『十階』
→どこからが人間なのかっていう歌だと読んだ。目覚めて息をしてるだけでは人間になってなくて「かたまり」だと。それから起き上がって支度して、靴を履くときに人間になる。
ほんとに人間になるのってそこかなあと考える。ほかの動物は靴をはかないけども。
起床から外出までのところに進化や成長が凝縮されているようでもある。



この場所に一緒に座っていた人の笑顔はうすくなれども消えず/東直子『十階』
→という歌がオレの誕生日の歌だった。
こういう本だと、とりあえず自分の誕生日にどんなことが書いてあるかが気になる。



かわいそうな猫の話が延々と語りつがれてきた電話口/東直子『十階』
→「電話口」っていうと固定電話じゃなかろうか。スマホで「電話口」って言わない気がする。
語りつぐってことはちがう人が同じ話を時間をかけてしてきたってことだな。「延々と」は長い。どれだけかわいそうな猫なのかが気になる。語られることで猫が電話のなかに生きつづけている。




以上です。



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2017年4月に掲載された/発表した短歌のまとめ【22首】
https://note.mu/mk7911/n/n3afc09ed83de

2017年4月にあった出来事についてあれこれ言う
https://t.co/iWmOlpRjpS

帰ってきた汚染歌人
https://note.mu/mk7911/n/n3b3bdf5e932c

短歌と公募と賞金のこと|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/n47a017bcce69


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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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