五島諭『緑の祠』を読む  ~かじかんだ手をひらく、ほか


五島諭『緑の祠』を読んだ。
書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズのなかの一冊。2013年11月。



黒い花 しばらく会っていなかったいとこがかじかんだ手をひらく/五島諭『緑の祠』
→黒い花ってなんだろう。世界は広いからそういう花もあるんだろうけど、ちょっと思いあたらない。「手をひらく」のイメージと花がひらくイメージが重なる。「黒い花」の珍しさは「いとこ」との疎遠と重ねて読んでみた。
「かじか/んだ手」の跨ぎ方がぎこちなく、かじかんだ手の動きのようだ。

「重ね」っていま二回書いたけど、重ねることで花は動きだすし、手は妖しいものとなる。
かじかんでるってことは黒い花は冬の花なのか。手をひろげてなにをしようとしているのか。とイメージは広がる。



新しい人になりたい 空調の音が非常に落ち着いている/五島諭『緑の祠』
→空調とは「空気調和」なんだね。いま調べた。
調和した快適な空気のなかで、「新しい人になりたい」という欲求は奇妙さを増す。



はなわビル2Fの気功教室は気功が人をたしかに変える/五島諭『緑の祠』
→「はなわ」というだけでトンガリ頭のベースを持った芸人が頭をよぎるが、たぶんこれは要らない連想だ。しかし強い力でオレの頭に浮いてくる。
「気功は人を変えます」みたいな文句で営業してるのか。下の句は、行ってみたらキャッチコピー通りになったよという意味に読める。

「新しい人になりたい」って歌もさっきあったけど、人が変わるというのは(コピーは平凡そうに見えるが実際起こったら)大きなことだ。なにげないビルの一室で人が「たしかに」変えられるというのは、不思議というか怖いというか、ちょっと言葉が見つからない。



青空も災いなのにああだれもラジオ体操をしているだけだ/五島諭『緑の祠』
→これも、平々凡々としたもののなかに危険なものを見ている歌だ。さっきのと重ねるなら、「災い」が「人をたしかに変える」で、「ラジオ体操」が「はなわビル2F」だ。「ああ」にこめられたのは、誰にもわかってもらえない気持ちか。



フォーク投げたくてボールを挟み込む指の力のようだよ鬱は/五島諭『緑の祠』
→さっきからオレはイメージを重ねる読み方をしているけども、野球の投球と鬱は重なり合わない。重なり合わなさが新鮮に見える。
「投げたくて」ってことはほんとの野球選手ではない。できないことを頑張ってしようとするから余計な力が入る。



話したらとても疲れて紫の窓が遠くにぼんやりひらく/五島諭『緑の祠』

白い柵の向こうの家に住む人を知らない/ミルク苺が甘い/五島諭『緑の祠』

→色の出てくる歌を二首。
紫と白ではだいぶちがうが、場所は他人の家で、そちらに意識がいっている。他人の家の遠さ・分からなさと、自分の感覚が置かれて一首になっている。
ぼやっと色のついた遠景に、疲労や甘さといった感覚のある近景がある。

ミルク苺の歌には「/」がある。オレは歌を引くときに作品と作者名を「/」で区切るからちょっとまぎらわしくなった。この問題は「/」を丸括弧にしようと文字空けにしようと改行にしようと付きまとう。

「白い柵」からの「ミルク苺」で、色がちょっとだけ変化する。
いま思いついたけど「/」は柵なのか。



十五分くらいで雪の結晶をつくる装置が原宿にある/五島諭『緑の祠』
→これも「はなわビル」「ラジオ体操」の系列の歌。オレはこういうの好きなんだねきっと。雪の結晶って自然の神秘だけど、そんなに手軽に作れちゃうのかー。
オカルトとまではいかないが、日常と地続きの不思議さが出てくる歌集だ。歌集のタイトルの祠と青葉闇の歌もそうなんじゃないかな。



天体を望遠鏡でたぐり寄せ見るというまだ小さな不安/五島諭『緑の祠』



信じても信じなくてもいいような巨大な数へ続く自転車/五島諭『緑の祠』

→この「巨大な数」ってなんだろう。特になんでもなくても抽象的なものへ向かう自転車を面白く読める。オレは自転車そのものの数だと思った。自転車って駅とかに行くと、ほんとにたくさんある。数字にしたら巨大なんじゃないか。

次に「信じても信じなくてもいいような」だ。信じなくてはならない巨大さ、信じてはいけない巨大さ、信じても信じなくてもいいような巨大さ。そういうのがあるとしたらどれがどんなふうに巨大だろう。いやまず、巨大さに対して信じるとか信じないとかがあるのか。



積もるのはたとえば雑誌のページを繰る、異なる人の似ている動作/五島諭『緑の祠』
→オレはブログを管理していて累計アクセス数を時には気にする。PV(ページビュー)といって、ページをめくられた回数が数字として増えていくのを知っている。
紙の媒体だってページはめくられている。それは数字になって出てこない。めくるには動作がある。いたるところでおこなわれ、いろんな人によっておこなわれ、見えない数が積もり続けている。

ここで積もっているのはめくられた回数じゃなくて、動作のほうだ。全部は到底見えないものが、見えない場所に今も積もり続けている。



自転車を押してゆく道記憶したすべての夢をもう一度見る/五島諭『緑の祠』
→自転車の歌がさっきもあって、そちらは「巨大な数」がでてきた。今度は「記憶したすべての夢」がでてきた。自転車には、はるかな大きなものが似合うらしい。
∞の記号と自転車の形の類似を指摘している方がいらっしゃった。なるほどと思った。



蟷螂の食べている蛾を蟷螂の視界へと飛び込ませた力/五島諭『緑の祠』
→食べている場面から、飛び込む場面に時間が逆戻りしている。「飛び込ませた力」はさらに過去にはたらいたのだろう。
蛾が蟷螂の視界に飛び込んで食べられてしまったのは偶然ではなく、ある「力」がそうさせたのだという。

カマキリって漢字にするとむずかしい。カタカナだと虫っぽさが増す。



昔見たすばらしい猫、草むらで古いグラブをなめていた猫/五島諭『緑の祠』

1984年ゆきがふりそのよるぼくは発見をした/五島諭『緑の祠』

→猫のすばらしさはグラブをなめていたことなのか、発見とは日時や雪と関係あるのか。または歌の外側にあるのかもしれないな。
草むらのグラブは遊んだ少年が忘れていったのだろう。1984年の歌は、ひらがなや「ぼく」が幼い。人に言わないすばらしさや発見を、少年は見ているのか。



卓上の食器の配置 世界史の終着点のように見ている/五島諭『緑の祠』
→漢字二字の漢字二字の漢字二字、スペース空けて漢字三字の漢字三字。
歴史の最後には現在がある。いやそれとも、現在も未来も含めた世界史の終着点か。食器は整った配置だったのだろう。



ヒロインを言葉のなかに探そうとラジオを修理している兵士/五島諭『緑の祠』



この本おわり。
こういう、知恵の輪をガチャガチャいじるような歌がオレは好きだな。そこに読みごたえを感じる。

帯には「冷徹な青春歌」とあるけど、日常と地続きの不思議なところを面白く読んだ。





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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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