「羽根と根」5号を読む  ~歯ブラシが恋しくなって、ほか


「羽根と根」5号。



「学生短歌会の会員を中心に結成された短歌同人誌」。48ページ。10人の連作が載っている。



ばあちゃんがおいでおいでの振り方で手を振るいつも見送るときに/今井心「希望の方が楽しい」
→「おいでおいで」が「ばあちゃん」の気持ちなのかもしれないね。年をとると体がいうことをきかなくなり、手を振る動作ひとつにだってそれはあらわれる。



あの森でくらしてみたって歯ブラシが恋しくなってすぐに戻るさ/中村美智「きみはファンキーモンキーベイベー」
→「歯ブラシ」がおもしろい。森が人のいない場所や自然をあらわすとすれば、歯ブラシが現代の人間の暮らしを代表しているわけだ。
「すぐに戻るさ」は人間側/現代側の声だ。おのれの優位を確信していて余裕がある口調だ。人は「森」からいかに遠くまできたことか。



あなたって人はほんとに夕映えのサル山にかがやく野菜くず/中村美智「きみはファンキーモンキーベイベー」
→二句までは、あきれた相手に対する説教の冒頭のようだ。そこから転じて遠くにあるものにズームしていく。くずではあるが汚いだけではく、夕映えにかがやいている。小言がはじまりそうだが、相手の輝きを見逃してはいない。



近況は途中で爪にある白いところがないって話に変わる/牛尾今日子「にんにくを刻む」
→ひさびさに会った人なのだろうか、近況を報告しあっている。話題はいつのまにかまったく違うものになる。この飛躍があるあるでおもしろい。
「爪にある白いところがない」は、「ある」と言ったり「ない」と言ったりする、いそがしい言い回しだ。あるはずのものがない。



マンホールの蓋を踏まずに歩いていくルールあなたと別れた後に/牛尾今日子「にんにくを刻む」
→小学校のころにそういうのやったけどね。マンホール踏むと減点で、草を踏むと得点になるとかそういうの。
自分ひとりの決めたルールで、自分ひとりが行動する。これも孤独のかたちだと思う。あるいはこれはこれで楽しいのかもしれないけれど。



髪の毛をふわふわなぞる なぞなぞに燃える水族館と答える/橋爪志保「世界中の鳥の名前」
→「ふわふわ」からの「なぞなぞ」であり、「なぞる」からの「なぞなぞ」でもある。
「燃える水族館」が答えになるなぞなぞってなんだろう。この答えが合っているのかもわからないし、謎が深い。そして詩もある。水族館はどんなふうに燃えるのだろう、そのとき魚たちは。
25年くらい前に海外ドラマ「アルフ」で、「中央消防署が火事だ」で終わるジョークを聞いたことがある。

あとになって、「上は大火事、下は洪水なーんだ」のなぞなぞだとわかったけど、わかる前のほうがこの歌はおもしろかった。
そういうことは時々ある。わからなさを愛してしまう。



ここにいていいここにいていいここにいていいと僕は僕の声で僕のために僕に/服部恵典「これは短歌ではない」
→短歌ではないと書いてあっても、流れで短歌として読んだ。そうは言っても短歌でしょうと。
「これは短歌ではない」と言われそうな長さの作品に、まえもってこういうタイトルがついている。

この歌は途中まではなんとか短歌っぽく読めるんだけど、最後のほうで堤防が決壊したみたいに「僕」があふれだす。
「て」はそうでもないけど、「こ」「に」「い」は短い線からできているひらがなで、縦書きで見ると羽根が舞っているように見える。認められたがっている「僕」の上に、羽根はやさしく舞い降りている。



自習する時間を人は窓に向くときおり鳥の眼差しをして/坂井ユリ「花器の欠片が散らばるごとく」

自らの醜さわらうおおよそのことはわらえば閉ざしうるから/坂井ユリ「花器の欠片が散らばるごとく」


ストーリーのよく見える連作だった。どこかひんやりとした読後感があった。



秋晴れの改札口を抜けてきてあなたが持ってくる自撮り棒/阿波野巧也「大技」
→どんどん狭くなってくるというか、しぼられてくる歌だ。
秋晴れはひろびろとしているが、改札口で人ひとりの通れる程度の狭さになり、人ひとりになり、自撮り棒になる。自撮り写真に秋晴れは写らないだろうなあ。



この部屋で死んだら発見者は何を避けて何なら踏むんだろうか/佐伯紺「いつでも急な雨に備えて」
→自分以外に誰も来ることのない、足の踏み場のない散らかった部屋であることが、そう言わなくてもわかる。自分の死のことは置いておいて、踏まれる部屋のことを考えている。

気の利いた返しは夜になってから出てきて湯船あわだてている/佐伯紺「いつでも急な雨に備えて」
→うまく返せずに帰宅して、お風呂のなかで気の利いた返しを考えついたんだね。そういうことはオレにもある。くやしい時間だ。

床が広がってくる代わりにテーブルが散らかってきて夏は終わった/佐伯紺「いつでも急な雨に備えて」
→連作のはじめのほうで足の踏み場のない散らかった部屋を出してあったから、終盤のこういう歌が生きる。
片付けを思い立った夏だったのだろう。掃除すると部屋が広く感じるものだが、広がったのは床だけで、テーブルは散らかった。きっと、テーブルを片付けると床が散らかり元通りになるのだろう……。

どこで区切ると自然なんだろうと考えて、「床が広がっ」までを初句ととらえればよいという考えに至った。床とともに、初句も広がった。

この連作では、物を忘れるなどのダメな生活ぶりが詠まれているが、楽しそうだ。




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2017年3月の出来事を振り返ってあれこれ言う【前編】|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/n02d1ecfcd4aa

「やめたい」と書きたい|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/na34b71807522

抜け出したいという話|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/n3e29a2c9d9c3

成人病予防健診に行って、最悪だった話|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/n825cec319cde

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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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