『小田嶋隆のコラム道』を読んだ。
ミシマ社。1500円。2012年6月。
コラムの書き方について書いてある本。
帯には書店員のほめてる言葉が書いてある。オレの行ったことある仙台ロフトのジュンク堂書店の店員さんの言葉もあるが、その店は今はもうない。
書店の店員さんはコラムの書き方の本をどういうつもりで読んだのだろうか。
ほんとに読んだのかどうか疑いたくなるような帯文がならんでいるが、おもしろい本なのは間違いない。
オレはコラムを書くことには縁のない人間だった。しかし、このあいだ短歌結社誌「未来」で「その日その日」という欄の執筆を依頼された。囲まれていて短いし内容が自由だし、コラムだといってもいいくらいの欄だ。
残念ながらそれを終えてからこの本を読んだ。まあ、またなにかの機会に役に立つこともあるかもしれない。
小田嶋隆さんのことは枡野浩一さん経由で知った。ツイッターを長くフォローしている。笑ってるアイコンがタイムラインによく流れてくる。
印つけたところは以下のとおり。数字はページ数。
18
書けない時間は、ものを書く者にとって、決してムダにはならない。逃避であってさえ。
36
書き手が楽しめてないと、読者も楽しめない……というのはウソだが、書き手は、楽しめる書き方を探求せねばならない。
何より、自分自身の精神衛生のために。必ずしも、読者のためでなくても良い。
48
会話文として書いた文章は、筆者の文責から離れる
51
文章は、思考の足跡を書き残すことで、思考の到達距離を広げるツール
64
「才能」という考えほど若い人々を毒しているものはない
才能は、良い原稿を生み出したということから逆算される架空の財産みたいなものだ。
86
良い文章は、九五パーセントの普遍性に五パーセントの個性を付加したくらいのバランスの上に成立している。
105
文章は、失敗が許される分野だ。どんな手ひどい失敗をしたところで、ダメなコラムで人が死ぬわけではない。会社の業績にアナがアクわけでもない。とすれば、コラムニストは、ビジネスマンよりもずっと失敗に対して大胆であらねばならない。
111
文章の最後に、映像喚起的な一行を添えておく。と、文章全体に、叙情的な色彩が加わる。
最期に季節の話を持ってくる終わり方は、純真な人々の心をわしづかみにする。
113
結末の一行は、コラム全体とは別個な、ひとつの作品だと思ってかかれば良い。
その意味で、結末は、おもしろいフレーズでさえあれば、木に竹を接ぐカタチであってもかまわない。
かろうじてつながっていれば良い。
印をつけたのは以上。
おもしろいおもしろいと読んでしまうが、とてもためになりそうな本でもある。ほんとにこれで良いコラムが書けるかどうかは、読者それぞれにかかっている。当たり前だな。
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