斎藤茂吉『アララギ二十五年史』を読んだ

斎藤茂吉全集二十一巻の『アララギ二十五年史』っていうのを読んだ。文庫本にして200ページくらいの長さ。昭和7年に書かれた。
画像は表紙。箱から出した状態。まったくなにも書かれていない。
この本にはだいたいの流れがある。一年ごとに主な出来事、掲載された文章、主な会員の歌が数首ずつ引いてある。
出来事は、結社を長くやってれば起こりうるようなことが書いてある。発行所がどこになったとか、誰が加わっ たとか亡くなったとか誰の著書が出たとか。それより作品の抜粋が多い。
朝山にあさゑをあさり夕山(ゆふやま)に夕餌(ゆふゑ)をひろふ雀の子あはれ/岡千里
さみどりの若草山(わかくさやま)の夕影(ゆうかげ)に羊追ふ兒やあぶら繪の中/赤木格堂
→結句で絵になる。それまでに読んできたものが絵に閉じられてかたまって、ちょっと驚いた。
高原の夕日落ちたる遠空に静かにうごく雲の寂しも/田川の里人
「柿乃村人」のほかに、「田川の里人」とか「芋の花人」という人の名前を見つけた。竹の里人にならったのだろう。
おとろへし蠅の一つが力なく障子に這ひて日は静なり/伊藤左千夫
弱ければ人に甘(あま)ゆるわがこころ今宵もあはれ息づけるらし/中村憲吉
生垣をくぐりていゆく孕み猫土に腹すりくぐりけるかも/平福百穂
停車場に牛乳(ぎうにう)を賣るなりはひの女(をんな)もあらず聖(せい)の日なれば/石原純
雪の上に夜の雨ひたにふりそそぎいのち亂るる春きたるらし/古泉千樫
→雪に雨が降ればたしかに乱れた感じになるが、それがもっと広い意味の「いのち亂るる」を導いているのだろう。
大正六年、「茂吉・憲吉怠け、憲吉には作歌が最も少い」とある。赤彦が彼らに対して
アララギは出さねばならず茂吉千樫憲吉もしか思ひてあらむ
と詠んだというエピソードなどが書いてある。茂吉と憲吉の歌のやりとりもある。誌上で会員同士が歌でやりとりしている。
むらぎもの心はりつめしましくは幻覺(げんかく)をもつ男に對(たい)す/斎藤茂吉
死にたれどまぶたつぶらぬ黒馬は臺車に積まれ運ばれゆけり/山口好
アララギに載った文章のタイトルが書いてあるんだけど、海外文学についての文章や、哲学関係が目をひいた。詩も載ったりしていたようだ。いまの結社誌ではあまり見かけない。
大正九年。赤彦の消息文の抜粋がある。
『自己成長の工夫疎かなる時、放言多く冗辯賑ひ申すべく候』
茂吉によれば、抜粋した歌にアララギの歌の二十五年の変化があらわれているのだそうだが、オレにはよくわからなかった。
終わります。
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どこへ向かって表現するべきなのか|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/n4fcb83c1b017
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