窪田空穂『短歌作法』を読んだ


窪田空穂『短歌作法』という本を入手した。改造文庫。昭和13年の本だ。
大正時代の「歌の作りやう」「作歌問答」の二冊を一冊にしたのだそうだ。340ページある。


戦前の本なんて久しぶりだ。表紙の文字が右から左へ書かれている。掘り出し物って感じで、テンションが上がる。

「歌の作りやう」が1927(大正7年)、「作歌問答」が1924年(大正4年)で、それを合わせて文庫にしたのが昭和13年。

印をつけたところを抜き出してみる。旧かなはそのままにするが、旧字(正字?)は打てないものもあるのでやむを得ず今の字にあらためる。







今の短歌の入門書って、いろんな歌を引きながら鑑賞したり作者を紹介したりするのが多いと思うんだけど、これはそうした部分は少なく、心構えを説いた部分が多い。

「五七と七五」
萬葉集は五七、古今集以後は七五を土台としている。それは耳で聞く歌から目で見る歌に変わったからだという。

「一首の姿」
よい歌の姿を人の姿になぞらえている。
頭は小さく腹は太く、尻は重いといふ姿にならなければ面白くない。

頭「春過ぎて夏来たるらし」
(軽く推察)
腹「白妙の衣ほしたり」
(一首の主なる部分)
尻「天の香具山」
(力強く据わるべき所)
と持統天皇の歌を用いて説明している。



「趣向を立てる上の階段」
よく注意すべきは、写生の心を失はない事である。ここに写生といふのは、此方の心を抑へて、落ちついた心を以て、写さうとする物象を十分に言葉にする意味に於てである。

心持を抑へるやうにと云つたが、心持は抑へたとて抑へ切れるものではない。抑へきつたと思ふ位で、ちやうど適当な程度に現はれるものである。



「物の観方の両面」
「現代の短歌作者は誰々を以てその尤もなるものと見なすべきか」「古来の論議書で、何々が最も信條に値ひすべきか」
という質問を、空穂は
この質問は、そう値のある質問ではない」とバッサリ斬る。

我を掴むことは我を主としなければならない。我に対している彼などは払いのけてかからなければならない。

物の観かたに二通りある。形体を主として精神はその中に宿つてゐると観る観かたと、精神を主として、形態はその現はれだとして観る観かたである。私は後の観かたの方に親しさを感じてゐる。それが至当だとも信じてゐる。







後半「作歌問答」は一問一答のかたちになっている。身の上相談みたいにイニシャルの人が質問している。質問の文には長文もあり、質問者の悩みようが見えて味わいがある。


「作歌の上での自信がもてないが、何うすればもてるか」という質問への答えがよかった。
如何なる人でも、その人には、他の者は企て及ぶことの出来ない色合ひを持つてゐる、光を持つてゐる。

お互の持つてゐる生命の芽を伸して見たいではありませんか。生命の特色を発揮させて、それを自身の眼にはつきりと映じさせて見たいではありませんか。これが人生の歓び、人生の意味でせう。

勇気をお出しなさい。善いものが出来るか出来ないかなぞといふ事は、さう慌てて考へる必要のない事です。今の場合は、将来いい物にしようと思つて勇気を出して為つづけて行くといふだけで澤山です。



「写生といふ事の本当の意義は何所にあるか」
散文の方では、文章は説明しては駄目だ、描写しなくてはいけない、と申して教へます。そして又、描写といふ事は、何の選択もなく、見たままの事をごたごた書き並べたといふ事ではない、そんなのは、如何に外見は描写のやうでも、心持から言へば一種の説明だ。畢境、描写といふ事は心持の問題で、描写しなくてはゐられない所までその人の心持が進んで行く事が大事な事だ。芸術は其所に至つて初めて生める

昔から歌の上の大きな病は、「ことわる事」だと申して、「歌はことわるべからず」と申してゐます。このことわるといふ事は、説明するといふ事です。即ち、単に理性だけの働いた歌だといふ事です。又、この頃では「単なる報告の歌」といふ言葉があります。同じ意味で「さうですか歌」などとも言つてゐます。



「早く上達するには如何にすべきか」
それは、正直に歌をお作りなさいと申す事です。正直、それより外にはありません。一に正直、二に正直、最後までも正直です。正直と申しますのは、ここでは、自分の心持を厳守するといふ事です。

質問者のなかには、ラクして早くうまくなりたいという人がいくらかいるんだけど、そういう人に向けたちょっとした「コツ」みたいなのは窪田空穂は一切言わない。
今の入門書だったら、「語順を入れかえる」「漢字やひらがなの表記を変えてみる」「助詞を変える、または付けたり省略したりする」「しつこくならぬよう同じ意味の言葉を避ける」「動詞の数が……」とか言うんだけども。



「現代作家で誰の歌がいいか」
実際芸術の問題は、善悪の問題ではなく、理解無理解の問題です。その筈でせう、標準は外部にはなくて、内部にある、自身である、その自身が絶えず推移して行つて、殆ど同じ所にとどまつてゐる事はない。としたならば、理解するといふ事が我々のできる全体の訳です。


我が国の文芸は進んでは来ましたが、まだ一般の人には読まれてゐません。さういふうちにも、歌なぞは殊にひどいやうです。旧派の歌を愛するのは、少数の老人です。新派の歌を愛するのは、青年の少数でせう。その人に盛名があるかないかといふ事は、その少数の青年に好かれるか好かれないかといふ程度で定まる事です。


このあと、歌集のなかでは萬葉集が一番味わいがあると空穂は言っている。


「歌は何ういふ歴史をもつて今日に及んでゐるか」
が最後の質問。短歌史が語られる。
近藤芳美の「短歌入門」を読んだとき、土屋文明で短歌史が語り終えられていることが印象に残ったが、この本では佐佐木信綱で終わっている。

窪田空穂は短歌史を三つに分けている。第一期が萬葉集。第二期が古今和歌集から香川景樹、橘曙覧まで。第三期が落合直文、与謝野鉄幹、正岡子規、佐佐木信綱。
「明治の歌の革新がなかつたならば歌は或は亡びて、俳句だけになつたかも知れないと思はれます」と結ばれる。


そんなことがあるかと思ったけど、それくらい大きな革新だったんだろう。それ以前の歌壇がよくわからなくて実感がないけれども。
短歌は長歌や施頭歌や仏足石歌より多く作られていてそれを当然のように思っているけど、短歌がすたれて別の詩型に革新がおこるパラレルワールドを想像したりもした。
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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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