岩波文庫の佐藤佐太郎歌集を読む  ~門いづるをとめ、ほか

岩波文庫からでている佐藤佐太郎歌集を読んだ。
毎日4ページずつ読んで、そのままのペースで読み終えた。


かりそめの事なりしかど眠りたる女(をみな)に照りし月おもひ出づ/佐藤佐太郎『歩道』


冬日(ふゆひ)てる街あゆみ来て思ひがけずわが視野(しや)のなかに黒き貨車(くわしや)あり/佐藤佐太郎『歩道』


目覚(めざ)めたるわれの心にきざすもの器(うつは)につける塵(ちり)のごとしも/佐藤佐太郎『歩道』

→器にとって塵が必要でないように、目覚めたときになんでもないような余計なことを考えているのだろう。
自分の経験を思い出してみると、夢の断片とか、どっか痒いなとか、そういう思いだ。


這(は)ひそめて母にまつはる幼子(をさなご)は雨ふる今日は毛糸を著(き)たり/佐藤佐太郎『しろたへ』


さわがしく夕の光さす部屋をわれは知りつつ廊下をとほる/佐藤佐太郎『しろたへ』

→「夕」はゆうべと読むんだろう。
光に「さわがしく」というのがおもしろい。強い光なのだろう。知りつつしかしスルーしているが、スルーしていることをわざわざ言ってもいる。


暁の降るさみだれやわが家はおもても裏も雨の音ぞする/佐藤佐太郎『しろたへ』


幼等(をさなら)のあそびの中に此頃はわが子まじはりその声きこゆ/佐藤佐太郎『しろたへ』


朝あけてまだしづかなる空が見ゆ木々の青葉のうへの朱雲(あけぐも)/佐藤佐太郎『立房』

→絵画みたいな歌だ。時間やしずけさがあるところがすこしちがう。


あらかじめ暑き一日(ひとひ)の朝(あした)にて窓よりいづるわが部屋の塵(ちり)/佐藤佐太郎『立房』


近き音遠きおと空(そら)をわたりくるこの丘にしてわがいこふ時/佐藤佐太郎『帰潮』


大根(だいこん)の散りがたの花おぼろにて飛行機の音とほく聞こゆる/佐藤佐太郎『帰潮』


いいと思って丸つけたんだが、なにか言おうとするとむずかしい。音が遠くから聞こえる感じ、こまかいものを見てる感じをこのましく読む傾向がオレにあるが、それ以上なにか言おうとするとむずかしい。
現実に似て見えたり聞こえたりするのが心地よい。風景画の良さに近いのか。


わがこころ驚きやすく夕暮れて暑さの残る池をよぎりつ/佐藤佐太郎『帰潮』


身のまはりすこしの音をたてながら起きをり秋の雨しげき夜/佐藤佐太郎『帰潮』

→小さな音をつつみこむ大きな音、それを良いと思う。


わが乗れる夜行車(やかうしや)過ぎて踏切の鐘(かね)鳴りゐたること思ひ出づ/佐藤佐太郎『帰潮』
最初に引いた歌もだけど、遠い一瞬のことを思い出しているのを良いと思う。


踏切を貨車すぐるとき憂(うれ)ひなくながき響きをわれは聞きゐし/佐藤佐太郎『帰潮』


まぼろしに似てきよきこと時に言ふ幼き者の常とおもへど/佐藤佐太郎『帰潮』

→小さい子って、大人が思い付かないくらいの現実ばなれしたきれいなことを言う。それが子供なのだと思っててもやはり、はっとする。


ストーブの音なく燃ゆるかたはらに居たり昼夜(ちうや)の境はながく/佐藤佐太郎『帰潮』
→「音なく」が無音の空間をつくっている。昼でも夜でもない音もない時間がずっと続いていくかのようだ。


悲しみに耐ふべき吾はストーブの燃ゆる炎の音を聞きゐし/佐藤佐太郎『地表』
→音なくもえてるかと思ったら、こっちのストーブは音がしている。いずれにしてもストーブのそばで耳をすましている。

佐太郎に「音」の歌が多いのか、それともオレがそういうのばかり丸つけるのか、聴覚の歌を多く引いている。


動物のやうな形の足うらをみづから見をり夜の灯(ひ)の下(した)/佐藤佐太郎『地表』
→なんでそんなことをしてるんだこの人は、という行為に強く惹かれる。
おのれの動物的な部分に思いを馳せているのだろうか。


対岸の火力発電所瓦斯(がす)タンク赤色緑色等の静寂/佐藤佐太郎『群丘』
→やはりここにも「静寂」があり聴覚がからんでくる。「赤色緑色等」と視覚的にもあざやかで、「対岸の」には距離感もある。複数の感覚をからめるとおもしろさが生じるのだろうか?
漢字が多くてガチャガチャしているところが他の歌とちがって目立っていた。


身辺のわづらはしきを思へれど妻を経て波のなごりのごとし/佐藤佐太郎『冬木』


ありありと見ゆる砂漠に動くものなくて無数の襞(ひだ)はしづまる/佐藤佐太郎『冬木』


冬の日の光かうむりて噴水の先端がしばしとどまる時間/佐藤佐太郎『冬木』

→いまの若い真面目な人たちがこういう歌つくってるイメージがある。勝手なイメージで申し訳ないけれども。


病院の第五階にてわが窓はおほつごもりの夜空にひたる/佐藤佐太郎『形影』
→「第五階」が目新しい。このころ昭和41年には普通の言い回しだったんだろうか。
「おほつごもり」が大晦日なのは最近調べて知った。窓が「夜空にひたる」というのも見どころだ。


篁(たかむら)の常にて幹の寒からんそのなかに積む雪を悲しむ/佐藤佐太郎『形影』


をりをりに扉がきしみ寂しさのただよふなかに午睡したりき/佐藤佐太郎『形影』

→扉がきしむのがさびしい、というのをとらえただけでも良い歌だと思う。「ただよふ」により、寂しさが気体であるかのように感じられる。眠りのなかに寂しさが入りこんできたのだろう。


まなしたに水青き屋上プールあり固体のなかの震揺(しんえう)ひとつ/佐藤佐太郎『形影』
→上の句は見えたものをそのまま言っているが、下の句でカメラが別の種類に切り替わる。固体や液体、揺れないもの揺れるものをとらえるカメラになった。揺れる水だけが他の景色すべてから区別される。


水のべにをりて冬日の反映をしばらく受くる吾と柳と/佐藤佐太郎『開冬』


ひたすらにいそしむ音がきこえをり飯煮ゆる電気炊飯器より/佐藤佐太郎『開冬』



菊の花ひでて香(か)にたつものを食ふ死後のごとくに心あそびて/佐藤佐太郎『開冬』

→これは前にもツイートしたことあるかも。そんなことで死後のような心になってしまうのかと驚く。菊の花の香りに気をつけたくなる。


たとふればめぐる轆轤(ろくろ)をふむごとく目覚めて夢のつづきを思ふ/佐藤佐太郎『開冬』
→夢から覚めると夢の記憶が消えてしまう。あるいは記憶が断片的になってしまう。それを、まわってくるろくろを踏むことに例えた。納得。
ろくろって漢字で書くと難しいんだなあ。
踏んだろくろを見て完成形を思ってみてもせつない。


生き物を飼はずなりたる幼子の小石拾ひきてわれに見しむる/佐藤佐太郎『開冬』
→どんな事情で飼うのをやめたのかはわからない。生き物の種類も不明。離してやったのか、ゆずったのか、死んだのか。
小石を拾って見せるのがその代わりだという。わびしい気分になる。


天は老い地は荒れたりといふ言葉おもひ出づるは何のはずみか/佐藤佐太郎『開冬』
→オレもものを忘れることが多くなって、それと同時に思いだそうと頭をひねることも増えた。
なにかを思い出した時に、なんでそれが出てきたんだろうと思うことがある。「天は老い地は荒れたり」とは、世界の終わる予言のようだ。


悔(くい)多きわれの頂(かうべ)を撫(な)づるものありとおもひて夜半(よは)にさめゐき/佐藤佐太郎『開冬』


みづからの顔を幻に見ることもありて臥床(ふしど)に眠をぞ待つ/佐藤佐太郎『天眼』


午睡の夢さめて一時間道(みち)あゆみ充実したる半日終る/佐藤佐太郎『天眼』

→眠りに関する歌が多いな。
つつましい充実だ。やれることが限られてくると充実の内容も変わるのだろう。
このへんになると老いの歌が増えてきて、体が不調だとか、散歩がしんどいという歌がでてくる。


門いづるをとめの姿二階より見ゆ死後かくの如き日を積む/佐藤佐太郎『天眼』
→届かないところにある若いものの生を、自分はただ見ている。そんな死後の日々。


五本ある足の指などなにゆゑとなく煩はし老いておもへば/佐藤佐太郎『天眼』


義歯はづし老いしかたちの枕辺に置きて一人の電燈を消す/佐藤佐太郎『星宿』

→二句がわかりづらいが、枕辺が「老いしかたち」をしているというのは考えづらいので、はずした義歯が「老いしかたち」で「の」は特殊な用法をしているものと読んだ。
寝る前の動作が、死ぬ前の動作みたいに見える。すなわち、天からかりていた肉体を返して一人で真っ暗な場所へ向かう。


受付のあたりにものの音するは人の尊ぶ硬貨の音ぞ/佐藤佐太郎『黄月』



以上です。
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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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