現代短歌社の「書込歌集」の使い方を考えた


忘れかけていた「現代短歌」誌の「読者歌壇」特選の景品が届いた。

これは……短歌の世界にこういうものがあるのは知っていたが、なんのためにあり、どう使うものなのか……。




それは……『書込歌集』 https://t.co/lQAx6VHDj2


『書込歌集』は豪華箱入り。中身はパラフィン紙に覆われている。
https://t.co/IfxbwvANZw



これが郵便物として来たときに封筒の大きさや形を見て、
「どなたかが歌集を贈ってくださったんだな」と思った。
開けたら真っ白な歌集で中身も書いてないから、えらくびっくりした。攻めてる歌集だなと。
だが、これはこういうものなのだ。


これはどう使うものなのか。
ほかの人はどのように使っているのか、を調べてみたが、ツイッター検索もGoogle検索もなにも教えてはくれなかった。
おもしろいじゃないの。

https://t.co/BG0BjUZ9Ud
現代短歌社さんのツイート。なるほど、自分の歌ではないものを書いてもよいわけだ。好きな歌を大事にメモしておくと。



自分の歌を書くとしたら、ただのメモ帳にするには立派すぎるし、かといってなんのためにここに清書するのかわからない。紙だと、後になってから一首足したり削ったり直したりができないわけでしょう。

ならば完全に心が決まってからここに清書するわけだ。間違いなくここに清書したとして、それからどうするのかという問題がある。直筆のただ一冊の歌集を人に送るのはなんか「重い」気がする。送られてうれしいか。ということは、自分だけで見るのか。

手書きと印刷でも印象変わるからな。箱入りに薄紙が、間違えられないプレッシャーをかけてくる。

そんなこんなで、面白そうだけど使い方が難しそうなアイテムだ。知恵を試されている。



「ここに来た歌人はこのノートに自作を書いていってください」
に使うとよさそう。

せっかく現代短歌社さんからいただいたものだから、「現代短歌社賞」に送った300首を書いてみたらどうだろう。
「受賞してたらこういう歌集になったんだろうなあ……」とページをめくりながら想像してみるとか。
自作をどんな場所に置くかは大事だ。歌集の型に自分の歌をはめてみるとどう見えるのか。

ああそうか。
「好きな歌人だけどいっこうに歌集が出ない+歌集の形で読みたい」という人の歌を書き写していって自分だけの歌集をつくる
みたいなことができるのか。第一歌集がでない人でもいいし、あるいは「まみ」以降の穂村さんの歌を集めるみたいなケースも。

と考えたけども、いずれにしても従来あるような縦書きで一ページ三首組の『歌集』という形に愛着があってはじめてできることだ。



図書館とかから期限つきで借りた歌集をここに写したっていいわな。

あるいは、好きな歌集を毎日少しずつ書き移してみてもいいでしょう。











その二日後。

先日入手した「書込歌集」。いろんな使いかたを考えていたが、結局はひとつの使い方で使うしかない。
徐々に考え方がさだまってきた。

これは試着室なのだと思うことにする。

高価で着ることが難しい服があるとして、買うかどうかもわからないし着れるのか、似合うのかもわからない。まあそれが今のオレにとっての「歌集」なんだけれども、「書込歌集」に歌集の型にはめて短歌を置くことで、どんなもんかを見ることができるよと。

あくまで試着で、大勢には見せられないし着たまま遠くへは行けないと。着心地だけはいくらかわかるよと。
そういうものだと考えてみることにした。


間違えたらいやなのでとりあえず鉛筆で下書きを始めた。ページをふってみたら、175ページあった。1ページ3首で525首書けるが、この前に書いたように「現代短歌社賞」300首を書いてみる。

もうひとつ迷ったのは、好きな短歌を書く楽しみかた。今まで「ぬらっと!短歌大賞」とか「私の好きな短歌」を選んできて、それが合わせて450首くらいある。ちょうどいい数だ。だからこれも捨てがたい。めくってもめくっても大好きな歌があったらテンション上がりそうだから。
でもそれはまた今度(今度があるならば)。




ただこれ、歌集が箱に入ってるとか薄い紙におおわれてるのとか、どちらかといえば高齢者向けっぽくないかなと。高齢の方だったらどんな使い方するんだろうと考えてみた。

六十の手習い?? みたいなことで生き甲斐として短歌をつくる方がいるとする。家族や老いの短歌をこれに書きためて、これ一冊を家族のためだけに遺して亡くなるのを想像した。

私の生涯の記録ですよと。ご家族はこの手書き歌集を大切にしていて、ときどきページをめくってこの方のことを思い出すの。


富良野に行きましたね。孫のこうちゃんをかわいがっていましたね。思い出が歌に綴られています。終わりのほうは字が震えています。最後までタエさんはこの手書き歌集を枕元に置いていました。
これを読むと声がきこえてくるようです──と娘のふさ子さんは語ります。

とまあ、これは想像だけど、こういうふうに使えば、書込歌集の「自由に書ける」「立派な外観」「保存にすぐれる」「筆跡があらわれる」「この世にただ一冊」という特性がいかされる。


そんなことを考えた。
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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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