木下利玄『紅玉』を読む  ~金輪際なくなれる子、ほか

歌集。筑摩書房 現代文学大系68「現代歌集」から。何回かやっているが、これが何回目だか忘れてしまった。
今回は木下利玄『紅玉』。


真夜中を戸外(そと)にすさべる風の音わが子よ父はこゝにゐるぞも/木下利玄『紅玉』



最初に子供が病死する一連がある。印象にのこった。

金輪際(こんりんざい)なくなれる子を声かぎりこの世のものの呼びにけるかな/木下利玄『紅玉』
→Oの音が全体をつらぬいていて、低いトーンの一首だ。
「金輪際」という言葉は、今だと「金輪際かかわらないでくれ」みたいな使い方が多くされている。強い拒否、否定が感じられる言葉だ。生と死のあいだに大きな隔たりがある。


眼のまはり真紅(まあか)くなして泣きやめぬ妻のうしろに吾子死にてあり/木下利玄『紅玉』


縁側に亡くなりし子の汚(よご)れものこの夕かげをしろくうかべり/木下利玄『紅玉』


鼻の上に少し皺(しわ)よせわが妻のいとしみし子は死にゝけるかも/木下利玄『紅玉』

→少しのシワといったようなところから子の気持ちを思う。苦しみによってできた皺だろうか。


遠足の小学生徒有頂天に大手ふりふり往来とほる/木下利玄『紅玉』
という有名な歌がそのしばらく後にでてきた。


たふれんたふれんとする波の丈(たけ)をひた押しにおして来る力はも/木下利玄『紅玉』
→歌の形からして、危ういバランスで成り立ちながら力をもって動いているように思える。
「波浪」というこの一連は13首すべて波の動きを詠んでいる。この作者は歌と歌の間隔が狭い、と思う。連作のなかを進んでも進んでも、同じものが微妙に角度を変えながら描かれている。

連作を写真のアルバムに例えている文章を読んだことがある。一冊のアルバムに写真を並べるように連作に歌をならべるのだと。
それでいくと、この作者の連作には、(極端に言えば)連写した写真を並べているみたいなものもある。
その執拗さというかこだわりは、今まであまり見たことのないものだった。

今、岡井隆『歌を創るこころ』っていう本を毎日少しずつ読んでるんだけど、そこに連作についてこんなことが書いてあった。

~牛とか馬を主題にして、あるまとまった数の歌を作るということ、これは、はじめからその覚悟でないとできません。画家たちが、一つの主題のもとに何枚もスケッチをし、あるいは油絵を描くように、丹念に、時間をかけて観察し、記録し、制作し、推敲して行きます。こうしたねばり強い作歌は、現代ではあまり見られなくなりましたが、ほんとうは大切なのであります。



松の間の茶屋の筵(むしろ)に大き蟻這ひまはり居る山の日ざかり/木下利玄『紅玉』



子供らの遠き游ぎをはげますと教師は舟にて太鼓たゝけり

およげるにちがひなからん子供らの頭(あたま)見えねど太鼓はきこゆ/木下利玄『紅玉』



日の前にはだかる雲のふち光りうごきにぶきを見つゝいこへり/木下利玄『紅玉』


亡き吾子の帽子のうらの汚れみてその夭死(はやじに)をいたいけにおぼゆ/木下利玄『紅玉』

→歌集の終盤でまたも子を亡くしている。昔は子どもが亡くなりやすかったのか。
目立たない場所の汚れに子の面影を見ている。
オレは壁の傷跡でいなくなった猫を感じることならある。



みづうみに岸の青山うつりゐてあそぶ此の日も夕ちかみきぬ/木下利玄『紅玉』

この朝けくちそゝぎをれば工場の汽笛の鳴りよ秋ふかみけり/木下利玄『紅玉』


→みづうみに~の歌は、水面にうつった景色のほうから夕方がちかづいているのを知ったように読めて、良い。
少しだけ普通とちがうところから時間の経過を感じている歌を、最後に二つ引いた。


この歌集おわり。
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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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