ぬらっ。ヴェニスに死す/短歌をやめる時に思い出す自分の短歌

ぬらっ



気になっていた「こちらあみ子」買った。

トーマス・マンの「ヴェニスに死す」を読んだ。映画では二十歳のころに見たんだけど、原作ははじめて。
いやあ、ヴェニスで死んでたなあ。極まってるなあと思った。ドキドキした。また映画でも見たくなった。

立派なおじさんが美少年に恋して、恋するあまりエスカレートしてつけ回したりするんだけど、全然相手としゃべったりしないんだよ。
誰にも知られない恋、見ているだけでまったく話もせず触れもしない恋。それが純粋なような倒錯的なような、もうなんというか、極まってるんだよ。


その流れで今度は「魔の山」を買った。今トーマス・マンがオレのなかでキている。
ツイッターにトーマス・マンはいなかった。

それときょう本屋さんで一番興奮したのは、ゴンチャロフの「平凡物語」上下巻と「断崖」全五冊を見つけたこと。文庫本7冊もいきなり買うわけにいかないから見送ったけども。









ああそうだ。なんか嫌な気分になったのは「なんたる星」が「短歌をやめる日に思い出しそうな自分の短歌」を募集していたことだ。オレはやめないつもりでいるし、やめるとしてもそのときになんで自作を思い出さなきゃいけないのか。

やめるときが万が一くるならば、ほかのことのせいで短歌どころじゃなくなりだんだん疎遠になってやめるか、他人の作品にうちのめされてやめるような気がする。

そういうときに仮に思い出す自作があるとして、それは、自分の限界をしめす自己最良の作品なんだろうか。それとも失敗作なんだろうか。

出すとかならず評がもらえて冊子がもらえるらしいが。うーん。やらない。自分に嘘はつけない。
短歌はやめなさそうだし仮にそうなっても自分の短歌を思い出す気がしない。「短歌やめてください号」とか言われても「そんなのいやだ号」としか言いようがない。

それに、そこで「すごい一首だ」と言ってもらえて、だからなんなのか。今更そんなのは捨てた過去だろう。

なんたる星には若い読者が多いだろうけども、若いうちからやめるとか最後に思い出す一首なんてものがすでにあるわけ? もうはやばやと自分の限界を設定してあきらめてるわけ? 本気で言ってるの? 本気じゃないなら、それが面白いの? 真顔なのはオレだけなの?

やめるっていうのは「自分」と「短歌」のあいだの一対一の紆余曲折があって決断があるんだから、それを横から関係ない人たちに論評されてもしょうがなくないですか。


なんたる星とはけっこう付き合ってるから、そのへんはちょっとうるさく言いました。
まあね、新しいことをやるってことは、こういうことだよね。スベるのを恐れないってことだからねえ。この人たち以外にはできないことですよ。いいこともわるいこともみんな。



さっき言った「ヴェニスに死す」のラストシーンみたいに、輝く短歌を遠くに見ながら死にたいもんだ。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

最新記事
リンク
月別アーカイブ
フリーエリア
カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR