千種創一『砂丘律』を読む  ~象しか思い出せない、ほか


千種創一さんの歌集『砂丘律』を読みます。


これの紙質のことが話題になってたんだけど、オレが思い出したのは中島みゆきの非売品の『回帰熱』っていう1989年ごろの本のことだ。大きさも同じくらいだし、紙の質も同じような感じだし、砂の歌が入っている。

中島みゆき『回帰熱』 https://t.co/7WvUd0JACP

1998年に恩師からいただいた本で、大事にしてたんだけど本の全体がおそろしく黄ばんでしまった。砂丘律もこうなるんだろうか……。




余談はそのくらいにして千種創一さんの歌集『砂丘律』のなかから歌を引きながら何か言ったり言わなかったりします。

マグカップ落ちてゆくのを見てる人、それは僕で、すでにさびしい顔をしている/千種創一『砂丘律』
→歌の情報の出方をおもしろがる、ということが今まであった。他人のようだったのが自分になり、見えなかった表情があとからついてくる。
瞬間をとらえている。こんな画像や映像でもあるのかという「スーパースローでご覧いただきましょう」みたいな歌。

でもどう考えてもこれはスーパースローで見るような内容ではない。マグカップが壊れるところならスローで見るかもしれないが、そうなっていない。マグカップじゃなくてそれを見てる人のほうがクローズアップされている。

それから、このマグカップとはマグカップではなくてもっと違う、例えば人間関係の壊れてゆくさまなのではないかとか、思いたくなる。

このスローモーション感はなんだろう。歌の最初でマグカップが落ちていて、歌が終わってもまだ落ち続けているところ、かなあ。



はるの夜の高層ビルの空室の海獣の化石、くだらなくない/千種創一『砂丘律』
→「の」でつなげてゆく歌を見ると、自動的に佐佐木信綱がオレの頭のなかには出てくる。

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲/佐佐木信綱

春と秋、塔と高層ビル。あながちヘンテコな指摘でもないと思うんだが、どうだろう。
ひとつの歌の向こうにもうひとつの歌が見えて、それが調和しているとおもしろく感じる。

しかしそうすると雲と化石が相対することになるなあ。

高層ビルと海は遠く、生きて死ぬことと飾られることもまた遠い。お飾りになるような一生だって、くだらなくはない。そう読んでみた。



月の夜に変電所でみたものは象と、象しか思い出せない/千種創一『砂丘律』
→人間の記憶ってそういうところがあって、いっぱいあるような気がしても数え上げてみるとすごく少なかったりする。

三句で字数が増える、と書こうとしたんだが、よく見ると必ずしもそういうことではないか。
「ものは象と」が三句で、「、象しか」だけが四句という読み方をしてみた。七音のところに四音というのはだいぶ足りないが、のこり三音は象以外のものを思いだそうとしている沈黙と見た。
ほかにも「ものは象」で三句を五音におさめるとか、いろんなパターンを試したりもした。

なんかすごいテクで音が操作されている一首じゃないのかと思って何度も読んだ。



冬の淡い陽のなか君は写真機を構えてすこし後ずさりする/千種創一『砂丘律』
→「写真機」がふるめかしい言い方だ。そう呼ぶことでこもる情感がある。
「後ずさり」は距離をひろげてゆく行為で、それがなにか象徴的だ。冬の陽が淡かったということ、この時の感情まで写真は記録できるだろうか。



瓦礫を背に男が叫ぶ映像のなかに降りちる落葉みている/千種創一『砂丘律』
→映像というのは画面ごしなので、他人事のように見ることができてしまう。男がいくら必死でも、目を背けることができてしまう。いや、背けなくてもべつのものを見ることができてしまう、と言ったほうが正確か。



骨だった。駱駝の、だろうか。頂で楽器のように乾いていたな/千種創一『砂丘律』
→千種さんといえばラクダのアイコンなので、きっとこれは自分の死体のように見たんだと思いたくなる。句読点は、それを認めるのをためらっているようにも、一つずつ確認していくようにも見える。

骨が楽器に見立てられる。これはさっきの高層ビルの海獣の化石に通じるようなところがある。死んだものは楽器になったり飾られたりする。死生観がにじみ出ている、と言ってもいいのかな。



君の横顔が一瞬(しつかりしろ)防弾ガラスを月がよぎれば/千種創一『砂丘律』
→防弾ガラスに月はうまいなあと。銃弾ではなくて月だった。銃弾だとしても防弾ガラスがそこにあるならば、ある程度安全なはずだ。
だけども「君」はしっかりしてない危うい状態におちいった。不安の中で生きている。

この部分は旧かな。オレはあんまり連作という単位で読まないんだよね。
それはオレが良い連作の作者じゃなくて、一首単位での投稿が中心の歌人であるのと関係していそう。



もう握り返してくれない掌(て)を握り、握ったまま死ねればよかった/千種創一『砂丘律』
→どうしてここで一生が終わらないのか、こんなことがあってもまだ今夜明日明後日と続いてゆくのか、ということがオレにもあったなあ。
握り返してくれないのは、心が離れた人でもあり、あるいは死者のようでもある。そうか、その二つは似ている。


別れたとき熱かったのに悲しみは冷えて河口のような光だ/千種創一『砂丘律』
→悲しみにもできたてアツアツと、冷えてしまったやつがある。「河口のような光」は美しいな。
河口と過去は似てる。


この雨の奥にも海はあるだろう きっとあなたは寝坊などして/千種創一『砂丘律』

さっき連作という単位で読まないって書いたばっかりだけど、この「終りの塩」はよかった。たぶんこれ初めて読んだ。

歌集ってオレはだいたい一気読みなんだけど、一気にいけなかった本だった。濃いというか重いというか、読んでてつらいかなしいところもあって、なんか打ちひしがれてしまった。
以上であります。



んじゃまた。
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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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