「塔」2015年11月号を読む  ~左右が逆の顔を写せり、ほか

塔 2015年11月号。




月集から。

子の家の風呂の鏡のまえに立つボクサーのごと少し構えて/池本一郎
→「ボクサーのごと」。闘志があるんだろうか。
鏡だから自分への闘志のようだが、子の家だから子への態度も含まれるようで単純でない。


自らの影と闘うがに聞こゆ妻と息子の言い争いは/永田淳
→夫であり父である主体もまた影の一面がありそうだ。


友人であるからそれほど老人に見えねど他人であらば老人/川本千栄
→「人」のつく熟語がいくつもでてくる。
友人としての目線と他人としての目線を同時に持つ。


朝露にぬれし胡瓜のあまきこと国敗れし日の幼くとおし/黒住光
→「国敗れし日」はわからないが、きゅうりの味ならばオレでもわかる。そうした、何か身近なもの、想像できる範囲のものを通して遠いものを垣間見る歌に魅力を感じる。


新聞紙にくるまれ発砲スチロールに入つてゐたいとバナナは願ふ/松木乃り「バナナの願ひ」
→野菜果物に関する仕事なんで反応した。品質管理の都合で人がやってることを、バナナが願っていると言い切ってしまう。だがバナナもぶつけられ傷みたくはないだろうから、まんざら嘘でもないのかなあ。

うちの店では新聞紙つかわず、段ボール箱だからなあ。発砲スチロールはまず使わない。そういう細かいところで乗り切れず。



新樹集・百葉集から。

初めての夏を迎へし学校のまだ技術室のやうな図書室/小林真代
→あんまり本がない図書室なのかな。図書室に本がないと技術室みたいになるのかな。うーむそう言われたらそうかも?
そういえば技術室ってどんなんだったかな。想像力と記憶力を使った歌。


組み体操上と下とが話する秋青天のはるか真下で/北島邦夫
→前半はこまかいところを見る面白さだが、後半でぐっと広がり、大きな歌になる。


大き防具に手足のはえてぷかぷかと歩む剣士は少女八歳/田中ミハル
→「ぷかぷかと歩む」がいい。浮くような泳ぐような動きが見えてきそうだ。



特集から

子供らのあそびにまじる棒切れがそそのかしをりあそびながらに/森岡貞香『百乳文』



作品1のふたつの欄を一度にやります。

買ってきた感じの札だ「がんばって仕込み中」とぞ蕎麦屋に下がる/相原かろ
→オレもけっこう看板から歌ができることがある。
手書きの札か、出来合いのものか、見ればだいたいわかるものだ。「がんばって」るのは、みずから言うことではないし、なんだか不信感にかられる。
この「とぞ」は便利だな。たまに文語が混ざる人だ。


今すぐに君とつながるツールありありて独りの時間の長し/青木朋子
→「つながる」「ツール」からの「あり」「ありて」。こうした繰り返しは歌の流れをつくる。
「あり」で一度切るから「ありて」ですぐに戻ってくると意外性がある。「だからこそ」といった意味が加わるように読める。


「絶対」と首相の言へり「絶対」と吾も言ひにき嘘つきし時/青木朋子


ふきげんなときの歯科医はガリガリと鬱憤はらしているにあらずや/歌川功

→ガリガリやられた経験はあるが、やる側はどんな感触なんだろうなあ。こまかくて緊張感がありそうだが、少しは楽しさもあるんだろうか??


カブトムシの相撲を見たり片方は途中で遠く飛んで行きたり/石原安藝子
→人間の相撲とはちがうなあ。この場合は飛ばなかったほうが勝ったことになるのか? 決まり手は??


生まれたる人がバッハである故にバラのアーチの家を見ており/大城和子
→旅行の一連。
バッハの生家というわけだな。バッハでなければ見る気のおきないような平凡な家だったのだろうか。
まあそこまでは言わなくても、あんまりバッハであることと関係なさそうな外観の家だったということはありそうだな。


その母に抱かれて我を見おろせりここで笑ってやろうという顔で/三浦こうこ
→赤ちゃんがそんな顔するかなあ。赤子のめずらしい表情をすくいとったというべきか、そう感じてしまう心境のほうを見るべきか。



作品2。一気に。

渋滞に動かぬバスの窓拭ふゆびのはばだけ夕闇が来る/伊東文


ひとつきりの心なれども光さすひとところあり暗き海もあり/福西直美

→光も闇も海も陸もあるとすれば、心のなかにもうひとつの天体があるかのようだ。心というものの大きさ深さを思う。


水辺から水辺へわたる一日の最後は暗きフォーク洗えり/大森静佳


緑蔭に思ひ返せり睡眠薬飲まされしとふをみなの話/篠野京

→緑の陰が不安なものへと変貌する。ふっと意識の遠のくような、危なさ。


豪快に笑ってみせているけれど島崎和歌子は泣きたいのかも/北山順子
→いろんな人名が入りそうだけどね。いいところを突いてきたんじゃないかなと。


夫の菜園が私の花だんに迫り来てきゅうりのつるが桔梗に絡む/久保田和子
→庭の植物も夫婦の関係性を反映しているのかな。庭も広くて、仲良さそう。


これ以上ないほど深くうなだれて運ばれてゆく夜の重機は/谷口美生
→重機は昼間に破壊したもののことでも考えているのか。運ばれていくのが逮捕・連行みたいだ。


頼りなき芝生のうへの紙コップ麦酒注げばしつかりと立つ/清水良郎
→花見や遠足など、外で飲み食いするとこうした場面に遭遇する。妙に地面がでこぼこして食器が安定しなかったりね。液体の重さで容器が安定することはある。それがビールであることで、コップが酒好きみたいに見えてくる。


眉剃られゐる夢より醒めて夜の鏡左右が逆の顔を写せり/柳田主於美
→こわい夢のあとでは、当たり前のことまでが怖く感じられてくるものだ。鏡が左右逆であることまでこわい。


結社・塔にうさぎを飼ふは吉川家とわれのみなるか気になるひとつ/木村茂一
→アンケート的な歌だ。こういうのに反応があるといいのに。二、三月号あたりに、われもわれもとウサギの歌が増えたら面白いな。


エスカレーター途切れて床に押し出さる 考え事をふと忘れたり/村 京
→エスカレーターが終わるときの感じがよく出ている。一字あけのあいだに忘れちゃったのかな。


ばしゃばしゃとぬるきプールに戯れる児童の一人が浮きし葉をくれぬ/宇梶晶子
→垢抜けない「ばしゃばしゃ」が冷たくもないプールに調和している。葉っぱはプールでは珍しいが、だからどうというものでもなく、取り除くだけだ。プールの日常風景だ。


扇風機は私のいない方向へ首回しおり終戦日来ぬ/中山悦子
→なんでそれとこれを組み合わせたんだと一瞬思わせる一首。
のどかな夏の風景のようだが、戦争に関して自分のいない方へと国が動いてゆく危機感のようでもある。



作品2おわり。つづいて若葉集

手のひらの小さな板に魂を奪われ歩くスマホゾンビよ/双坂葉
→言ってることはよく言われてることなんだけど、「スマホゾンビ」がちょっとよかった。カタカナの造語は目立つ。


朝焼けは雲を底からひからせて君がBメロみたいに笑う/北虎叡人
→底からひからせるというのが、可笑しさがこみあげて笑いの起こる様子を可視化したかのようだ。
Bメロも面白い。通常の状態からの変化であり、クライマックスを予感させる。



今月の歌は以上。
のページから少しだけ。

キイの上右手左手寄りあひてみそかごとして離れてゆきぬ/遠田有里子
→「みそかごと」がいいな。
「離れてゆきぬ」と別れまでを言ったのが、はかなくていい。



一首評に、まるで怪文書みたいな評を書いている人がいた。ひとつの歌にのめりこんだ結果と見た。入り込むのはいいが、近すぎると見えなくなるものがある。適度な距離が大事だ。







オレの歌も載せておく。永田淳さんの選で鍵の外側の六首。


いざという時は近づく精神が追いつかなくて頭など掻く

赤い布をかけられていてジャンという音が鳴ったら出る段取りだ

透明なガラスのせいで進めないふりがうまくて行かないで済む

近すぎて見えないものに囲まれた生活にいて目薬たらす

足だけを鏡に映す 片寄った情報だから注意なさいよ

午前五時「END」の文字が現れて終わる気がするヒゲ剃りながら




十首選にえらんでいただいた。

長袖にしてもずるずる降りてきて長袖になるオレの生活

という歌。白井さん、ありがとうございます。



以上です。
んじゃまた。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

最新記事
リンク
月別アーカイブ
フリーエリア
カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR