谷知子編著『ビギナーズクラシックス 日本の古典 百人一首』【9】97-100、解説

百人一首、最終回。


97
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
権中納言定家

98
風そよぐならの小川の夕暮は みそぎぞ夏のしるしなりける
従二位家隆

99
人も惜し人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は
後鳥羽院

100
百敷や古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり
順徳院




97
まつ帆の浦、は兵庫県淡路の北端にある海岸。「待つ」と「松」をかける。
「焼くや藻塩」海藻に潮水を注いで乾燥させ、焼いて上澄みの塩を取る製塩方法。
「こがれ」は藻塩が焦がれることと恋い焦がれる様子をかける。
万葉集に本歌がある。巻六・九三五

98
「楢」は植物の楢と御手洗川の別名「楢」の小川を掛ける。
「みそぎ」は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)の水無月祓(みなづきばらえ)のこと。六月末に半年の穢れを水で清める儀式。
秋をおもわせる涼しい風のなかで、水無月祓だけは暦の上では夏であることを物語っている。
爽やかな歌。

99
作者は八十二代天皇。
「をし」は愛しい、「うらめし」は恨めしい、憎らしい。反対語。
世を思うからこそ、周囲の人間が愛しくも恨めしくも思われる。
新古今和歌集の編纂をおこなった。
承久の乱にやぶれ隠岐に流されたときに詠まれた
われこそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け
も有名。

100
「ももしき」は内裏、宮中の意味。
「しのぶ」には忍ぶ草と「偲ぶ」がかかる。「軒端のしのぶ」は建物の荒廃を意味する。宮中の建物の荒廃はそのまま王道の衰微を意味する。





解説

百人一首を選んだ藤原定家は後鳥羽院に評価され活躍したが、やがて衝突し、宮中への歌会への参加を禁じられる。だがその翌年に承久の乱に敗北した後鳥羽院は隠岐島に流される。

その十五年後1235年に百人一首の原型はつくられた。

1232年に定家は後堀河院に命じられ第九第勅撰集『新勅撰和歌集』の単独撰集をおこなった。鎌倉幕府に対する配慮から後鳥羽院・順徳院の歌を徐棄するよう命じられた。完成が1235年。その二ヶ月後に百人一首の原型がつくられた。

「百人秀歌」という書は百人一首と97首が一致した書。決定的にことなるのは後鳥羽院・順徳院の歌があるかどうか。
依頼主の蓮生には「百人秀歌」を贈り、「百人一首」は自分の楽しみとしてつくったという説がある。


百人一首に選ばれた歌は勅撰和歌集を出典とした。詠まれた年代順に配列された。
巻頭2首と巻末2首が注目される。巻頭は天皇を中心とした国家が描かれるが巻末では周囲の人々へのやりきれない思いや昔をなつかしむ嘆きがある。そこに定家のメッセージを読み取ることができる。

親子の歌人が18組ある。
部立や季節をしらべると恋の歌、秋の歌が多い。
これには、依頼主の蓮生が不遇な状況にあったことの影響が指摘されている。蓮生は謀反の嫌疑をかけられ、出家し隠居生活をしていた。

和歌は「ハレ」を題材とする。日常生活に密着した「ケ」は詠まれない。
優美で「ハレ」であることが和歌の条件。
理想的な型が詠まれた。
和歌が見えない心を具体的な景物で表現するのは、自分の心を他人と共有したいという人間の願望に起因する。

力を入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武人の心をも慰むるは、歌なり。
『古今和歌集』「仮名序」





おわり。
それから古今和歌集を読みはじめたが、ブログにまとめるかどうかはわからない。
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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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