「塔」2015年7月号を読む【2】作品2  ~神の為し給うところは皆……、ほか

塔2015年7月号のつづき。作品2からです。



作品2、永田和宏選歌欄から。

花の枝を飛びかわす鳥のあかるさにまじわるごとくながめていたり/永田聖子
→ながめているとあかるさに自分がまじわるような心地がしたと。眺めるといっても距離をおいて見ているのでなく、もっと一体感がある。
こちらもそういう気持ちになってきます。あかるさのおすそ分けをいただくような。


気乗りせぬ夫に真向かい療法士体操難度を徐々に上げゆく/増田照美
→療法士はあくまで自分のするべきことをしているというふうです。難度が高くなると少しは張り合いや面白味がでてくるでしょうか。


いらないと言った覚えはないけれどお菓子配りは通り過ぎゆく/中山靖子
→お菓子を配るひとを「お菓子配り」としたのが面白いです。そのひとをお菓子をくれる人としか見ていないようで。
なぜか自分にはお菓子をくれなかった、そのことを歌にしています。
ちょっと茂吉の「剃刀研人(かみそりとぎ)は過ぎ行きにけり」を思いましたが、偶然でしょう。



作品2、池本欄

枝垂れ桜今朝咲きたりと電話きぬ 昨日別れし故郷の母より/福島しづ子
→昨日別れたばかりなのに、重要でもないことで電話がきています。声を聞きたかったのかもしれませんね。


疲れたる脳を癒すモーツァルト乳牛にも効き我にもよく効く/山本須美子


装幀にふれれば微かな凹凸のあつて指先から本になる/浅野大輝

→本といえば読むものですが、こうした手触りに本を感じています。
塔もリニューアルして質感がかわりました。凹凸といえば花山周子『風とマルス』が最近では印象的でした。ツルツルのところとぼこぼこしたところがあって。


感情よ戻ってくるな 糸杉は伐られてそこにバス停が建つ/千種創一
→二句で切れて、内面と景がある形。
「建つ」にバス停の存在感があります。建築物みたいです。
バス停よりは糸杉のほうがなんらかの感情をもっているように思います。バスとともに感情が戻ってくるようでもあります。拒まれているこの「感情」とは何か考えるといろいろ浮かんできます。



つづいて風炎集

叔父さんの歌ういとしのエリーとは誰だったのかレーザーディスク/相原かろ「叔父さんと犬」
→レーザーディスクがいいです。ありますねそういうカラオケ。ボックスではないカラオケ。古い曲ばっかり入っているようなイメージがあります。
誰への歌かを考えさせるくらい「いとしのエリー」に感情がこもっていたんでしょうね。

叔父さんのこと、自分が伯父さんになること、犬のことでまとめています。

なかなか連作を読む機会のない人の連作が読めるのはよいことです。
簡単なプロフィールがつくのもうれしいです。これは前にはなかったはず。



作品2、小林欄

人ならば腿のあたりか絶ち切れし街路樹立ちて久しくぞある/篠野京
→人にかさねることで樹が痛ましく見えてきます。それでも立っているところに強さもありますが。


卓上でラッパ水仙三方を向きて家族の話聞きおり/川並二三子
→服部真里子さんの歌でいま総合誌の時評などで話題になっている「水仙と盗聴」のことを思い出しました。この歌は自分の内部にはいかずに外側に移っています。
三方ということは三つの花がそれぞれ違う向きを向いているのでしょう。テーブルをかこんで家族が話しているのもわかり、状況がわかりやすいです。

優劣の話ではないんすよ。内部と外部、盗聴と家族の談話、同じ水仙でもかなりちがいます。



作品2、三井欄

おさまりの悪しき歌なりどこをどう変えても本音かくれたままで/黒木浩子


明日からは春本番の陽気です指示棒の先さくらはひらく/高松紗都子

→最近のテレビの天気予報ってそういうことありますね。画面を棒でさわると晴れマークやら雨マークやら出てきたりして、それを操りながら解説するんです。
指示棒が桜をひらかせるのが、花咲じいさんみたいで、あるいは洒落たマジックみたいです。
テレビとも天気予報とも言わずに「明日からは春本番の陽気です」という言葉の切り取りでそれを伝えたところにも表現のポイントがありますね。



もの買(こ)うてポイントためるといふことを遊び学びし街にておもはず/千村久仁子

暮るる頃コンビニまでゆきそのまんま行方しれずになるのでもなく/(同)

→ポイントがたまったり、すぐ行って帰ってこれるところにコンビニができたり、そうした便利さがない頃のほうが、不便だし危険だけどそんな時代がよかったような気がすることがあります。


「嬉しいっす」「頑張るす」関取の簡潔さ欲しおしゃべり吾れに/桝田紀子
→スポーツ選手のなかでも相撲はとくに口数少ないですね。外国人が多いこともあるかもしれませんが、それにしても簡潔です。
「頑張るす」は何かを略してそうなったんでしょうね。



作品2、山下欄

初日から仕事を家に持ち帰る妻をなじりて夜の更けにけり/井上雅史

先月は

働きにゆくのだからと角ばった形のメガネを妻に推しおり/井上雅史

という歌もありました。その続きとして読みました。覚えてるんですよオレは。

「妻」にちょっと干渉するわけですが、そんな自分をみている側の自分もいるのが「夜の更けにけり」あたりから見えます。


背よりおろししリュックサックわれよりも疲れし形畳の上に/中村春菜
→「畳の上」が特にいいんじゃないでしょうか。帰宅したという感じがよくでています。



ついにあのソフトバンクの父さんの犬になりたる秘密明かさる/八鍬友広

この短歌に○つけたオレはこんな短歌にも○をつけています

白戸家にも時は流れてさまざまなドラマがありて割引がありて/永田紅「鳥の巣よ」 「短歌研究」2015年3月号

でもオレはauです。



賞味期限いささか過ぎたゴマプリンいつもと変はらぬ味と思へり/立花惠子
→「ゴマプリン」がいいですね。すぐに冷蔵庫からなくなるデザートではない感じが。



作品2、前田欄

打ち合はすサファリパークの職員の肩に鸚鵡をとまらせたまま/清水良郎


白熱する会議の席をぬけ出せず右頬ばかりにストーブあたる/今井早苗

→「白熱」の熱とストーブの熱で、夏に読むと大変暑い歌になっています。


「大ニセモノ展」に人魚のミイラがあると言う其を確めに行かねばならぬ/久保田和子
→「大ニセモノ展」とは面白いです。ニセモノとわかっていて、しかし足を運んでそれを見るわけです。
ニセモノなのを確かめるのでしょうか。なかには本物もあったら愉快なのですが。
人魚のミイラっていう、いかにもニセモノくさいものに強く反応してるのが素直でいいですよねえ。ニセモノファンの熱意を感じます。


どこまでが自分であれば俺なのか周辺ですとナビ繰りかえす/中山大三


もの言わぬ木々抜けてものいわぬ雪踏みもの言わぬ頂きにいる/市居よね子

→「もの言わぬ」の繰り返しにより山や自然のしずけさがつたわってきます。逆にこれによって、歩く音や風や雪の鳴る音が聞こえてくるようです。



特別作品では山下れいこさんの「美麗しかり」が印象にのこりました。

モニターに腫瘍が映る「神の為し給ふところは皆……美麗(うつく)しかり」/山下れいこ「美麗しかり」
→腫瘍に神の美を見出だしています。「為し給ふ」ということは信仰があるのでしょうか。「……」に畏れや感嘆があるかのようです。


ほんたうは不安で泣きたい叫びたい缶を出で来ぬ薄荷のドロップ/山下れいこ「美麗しかり」



若葉集

十年前浅越皮膚科ありし階居酒屋となりトマト鍋食む/ぱいんぐりん
→まあとても具体的です。「浅越皮膚科」だけでもいろいろ想像できそうですが、居酒屋のトマト鍋まででてきます。
さっきの薄荷のドロップならば「不安の象徴ですね」みたいに言えるかもしれませんが、こうなると捕まえきれません。でも意味をこえたところで楽しいです。


はじめてのバスケットボールは手に重くゴールリングは天使の高さ/竹内真実子
→「天使の高さ」にゴールをきめることの難しさがよくあらわれています。天使の頭の輪とバスケのゴールの輪が掛かっています。
地理や歴史の先生がほかの歌にでてくるので学生さんでしょう。


夢の中死にませんかと誘われぬ寒椿(つばき)ガクッと落花する時/山口小夜子
→「死にませんか」は恐ろしい誘いです。はいと言ったら夢から戻れなくなりそうです。
つばきが咲いていたのは夢の中か外かわからず、その中間にあるようで幻想的です。


花びらに花びらの寄るさみしさよ亡き妹のコート抱きしむ/福田恭子
→コートを通して妹を抱き締めようとしています。
この花びらというのはどちらも散った花びらでしょうか。亡くなった者を追いかけるように落ちた花びらと読みました。



詠草は以上です。

選歌欄評を書くひとたちががらっと入れ替わりました。

現代の歪みに対して~鋭敏に捉え、生活の細部と批判性が両立している。

直面している現実を三十一音に凝縮し、ありのままを受け入れる姿につよく揺さぶられた。

表現に作者の感受が滲み、歌の雰囲気を支えている。静かな風景を作者のフレームに切り取った印象深い一首だ。

動作、ことばを真っ直ぐ見つめる心情が余燼となって読者の心に留まる。

日常生活からの自己凝視であり、紡ぎだされた歌に手触りがある。

独自の詩性で捉えている。

客観的に見つめる作者の切り口は鋭さを持っている。

作者の感性は非常に瑞瑞しい。


以上は香西柚菜さんの評から抜粋しました。これらは評の言葉として役に立ちそうな気がします。
模範的ですが、この中のどれかの評を別の歌に対して言ってもわりと成立しそうです。もちろんお手軽に書いているわけではないのでしょうが。

オレは歌に対していつも同じようなことを同じような言葉で言ってるし、いつも人から学びたいと思っているのです。できれば真面目な言い回しもできるようにしたいです。

そのほかの方だと、山口泰子さんの文章が独特です。
「です・ます調」(敬体)と、「だ調・である調」(常体)がかなり混ざっています。つねに混ざっています。オレもよく混ざるんですが、それどころじゃないくらい混ざります。これらにはなにか狙いがあるのでしょうか?
これが気になり、評の内容がまったく頭に入ってきません。問題があると思います。


あとは、一ヶ月で273首つくった方の話が印象にのこりました。それくらい作れればいいのになあと思いました。

七月の塔は以上です。
んじゃまた。
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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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