篠弘『現代短歌史Ⅲ 六〇年代の選択』 第八章・戦中派による「前衛短歌」批判【後編】

篠弘『現代短歌史Ⅲ』第八章・戦中派による「前衛短歌」批判
〈笠原伸夫・菱川善夫の前衛評価論争〉

評論家・笠原伸夫の前衛評価。
「戦後派の後にくる若い世代にとって、もっとも偉大な敵は近藤ではなく、佐藤(佐太郎)だったのではあるまいか」という提言。
「茂吉を克服する視点を回避するかぎり、短歌の問題は、所詮一種の真空地帯で空転するばかりだろう」

笠原は岡井隆の「短歌改革案ノート」に注目する。岡井は、連作の構成、文語の詩語としての有効性、定型意識とそれにともなう方法論、それに自由な表記などをもとめるとして、近代短歌の克服を訴えていた。
笠原「反逆のテーゼを、あきらかに方法のうえにのせることによって、ふかく溟い衝撃を内在させたものになりえていた」

笠原は塚本邦雄の「聖・銃器店」を「目をそばだてて見るべきもの」として注目した。
笠原「かれの作品の特質は、まさしく一首一行の身うごきできぬ空間のなかに、もうひとつのきわめて自在な非現実的空間を生みだした点にある」

そのうえで助詞にこだわり、あいまいなイメージを構成しがちであると指摘した。
壮年のなみだはみだりがはしきを酢の壜の縦のひとすぢのきず/塚本邦雄
の「を」など。
これに菱川善夫が対立した。菱川は、あいまいさを招かざるを得ない詩句の構成と辞の用法にこそ、塚本の詩法の本質があると主張した。
岡井の古語をいかした二首についてもその評価において対立した。







篠弘『現代短歌史Ⅲ』第八章・戦中派による前衛短歌批判
陥没していた戦中派

座談会「昭和三十年代の短歌」(「短歌」昭和41.8、10)で世代論がもちあがる。戦中派、戦後派などと世代によって分けられる。

昭和40年12月の「短歌」の「戦中派感想集」には、大正3年生まれから14年生まれまでの歌人が寄稿した。岡部、清水、森岡、塚本、岡野など。宮、近藤、高安、大野など新歌人集団系の歌人ははずされていた。
佐佐木幸綱や岡井隆はこれに反発。
岡井隆「多世代発想─『戦中派感想集』感想」
「世代は年齢の謂ではない。あるいは言葉をかえて、戦中派は年齢的基盤からする区分ではない」

岡井の「多世代発想」は、文学世代というものが、生まれあわせたという偶発的な場から生まれるものではなく、多層世代が競合しあうことによって、より強固になっていくことを希求したものとされる。








篠弘『現代短歌史Ⅲ』第八章・戦中派による前衛短歌批判
〈近代短歌の再発見へ〉

近代短歌の有力歌人が相ついで亡くなる。佐佐木信綱、川田順、窪田空穂、吉野秀雄。

「短歌」昭和39年2月号では信綱の追悼特集がくまれた。それに先立ち「短歌研究」昭和38年3月号では信綱系歌人特集がおこなわれた。


秒針の動き見まもり夜のふけにわれ今われを思ひつつをる/佐佐木信綱


吉野秀雄の死。秀雄は昭和42年に第一回の迢空賞を受けている。晩年の作品は高く評価された。


一息(いっそく)の駐(とどま)れば泥土たらむのみ時の間すらや惜しまざらめや/吉野秀雄

佐藤佐太郎「いよいよ晩年の病床吟になると、語感の古さは影をひそめる。或はまだ残つてゐても、その古さなど顧みるいとまがないほど、歌が切実になつてゐる」



89歳まで生きた窪田空穂も信綱、秀雄を同じように最期まで作歌を続けた。

哀しみはおそるべきかな老の身に残る身ぢから奪ひなんとす/窪田空穂

老の眼に山おぼろげに見えくれば心そぞろぐ何なりや山は/窪田空穂


塚本邦雄の空穂評価。「アニミズムの世界が、この老大家の口を借りて意外に執拗なリズムを伴って繰りひろげられる」
「物神崇拝の、原始的エネルギー渇仰の自然への懼れのうたである」
「古今集を髣髴するくどいまでの美意識と誇張、すべて短歌の主(ぬし)の年齢を超えたテノールの託宣と呪文を聞くようで、感嘆すると同時に不気味でもある」










篠弘『現代短歌史Ⅲ』第八章・戦中派による前衛短歌批判
〈七〇年代の混沌へ〉

昭和39年に編集方針が変更された「短歌」は、戦中世代を掘り起こそうとした。大正5年から15生まれで昭和10年代に兵役を迎えた人々を『戦争世代』と片山貞美は規定する。そして戦後世代の若手が誌面から消えた。昭和42年まで若手が薄い状態が続いた。
逆に「短歌研究」が若手層を起用するようになる。

昭和24年に「早大短歌」が創刊され、30年に「早稲田短歌」と改名された。佐佐木幸綱がリーダーシップをとった17号(昭和36.5)にいたって果敢な性格をもつようになる。
岡井のはがき通信にヒントをえた月一回の「27号室通信」が昭和37年12月に発行された。佐佐木幸綱のほかに、福島泰樹、三枝昴之の名前もみえる。

採決車すぎてしまえば炎天下いよよ黄なる向日葵ばかり/伊藤一彦
27号室通信は昭和45年までつづいた。

福島、三枝、名取弘文らは昭和44年に「反措定」を創刊。福島泰樹の宣言「テーゼ・70年のわれらに」は政治色のつよいものだった。くやしみにみちた闘争の経験を通じて、七〇年代におけるあらたな対決の契機をもとめた。

「反措定」の成否を論議するあたりから70年代の短歌史は開始されるべきではないか、と篠さん。



この本おわり。半年かけて読んだこの本もこれで終了となった。次からは上野誠『はじめて楽しむ万葉集』。
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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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