角川「短歌」2015年5月号を読む  ~行き処なくさ迷える母、ほか

角川「短歌」2015年5月号。

もっと早くやろうと毎回言っているが、遅くなる。
総合誌買うと、今度こそ読みきれないかもと思うんだけど、次のがでるまえには読み終わっている。



また雨が降る感じして明後日の日曜日の予定変えてしまえり/浜田康敬「老若男女」
→二日後の天気だったらまだわかんないわけだけど、予報よりもなによりも「感じ」がしてしまうんだね。根拠の薄い「感じ」が行動を決めることがある。


カーニヴァル、カーニヴァルと鳴る鈴を作っておくれわが母のため/大滝和子「カード」
→意味のある単語をオノマトペに使う例はいくつかあるが、そういうのを見るとおもしろく感じる。
本物のカーニヴァルを楽しむほどの体力が母には残っていないのかもしれない。鈴を鳴らすみたいな簡単なことで楽しい気分になれたらいいのだが。



特集は「連作を極める」
大辻隆弘さんの、スナップを並べたアルバムの例えがわかりやすかった。「写真は歌、アルバムは連作」


山田航さんの傾向と対策のはなしが具体的で印象に残った。でも次の大森静佳さんを見ると、違うことを書いている。
山田航さんが「一年かけて作るのが王道」「せめて三ヶ月くらいで済ませたいという方々のために~」と書けば、大森さんは「一気呵成の勢いで」「熱に浮かされるような数日間」でつくったという。
タイトルについても山田さんは中途半端な位置の歌のなかからとってつけると言い、大森さんは一首目からつけたと言う。

こういうのは何に関してもそうだよね。強火でサッといくか、じっくりコトコトいくのがよいのか。それは作ろうとしているものによる。自分に合ったやり方を考えてみてねって話に落ち着く。



銀行のとざす扉に人倚りて日を浴みゐたりこの路傍の観/佐藤佐太郎『帰潮』


枯れ芝の、陽ざしにひと日やはらぎてひと日はくまなく雨に打たるる/中西洋子「とちをとめ」

作品12首から。枯れ芝じゃなくてもこういうことになりそうだが、しかしここは枯れ芝なのだ。晴れてても雨でも枯れ芝をよく見ている、そこがいいんだよなあ。


おしゃべりをする雲見上げ誰だろうこころぷかぷか浮かべているは/岩井謙一「翼あるものと」
→空に浮かんでいる雲が、誰かの心であるという。
オレの心によって浮かぶ雲がどこかにあるなら楽しいことだなあ。


時ならぬ大雪 それでもとける屋根がありしんと固まる一角がある/淺川肇「勲章をもらいたい人と一緒くたにするな」
→所属のところに「無人島」って書いてある。
作品7首から。政治的な連作なので、そういう意味もあるのかもしれないが、ふつうに雪の歌としていいなと思った。

さっきの「連作を極める」の総論(大松達知さんによる)には、挽歌のなかに大根を買う歌を入れるような「息抜きができる工夫」のことが書いてあった。
この連作も、政治の歌のなかに雪がでてきたり認知症がでてきたりして幅がでている。


はみ出せる二人のうちの一人にて蕎麦屋の暖簾の外に並びぬ/中西由起子「花びら」
→店の外まで待つ人の列ができる人気の蕎麦屋か。だが微妙な行列で、二人だけが暖簾の外だ。そのうちの一人になっている。
並んでても外に追い出されてるみたいだ。他人と二人きりというのも気まずい。



特別企画として坂口弘『暗黒世紀』の特集がある。浅間山荘事件の中心人物で死刑囚とのこと。

〈牢のまはり桜さけり〉と母いへばそを反芻しさくらを想ふ/坂口弘『暗黒世紀』


わが生涯一のよろこび朝日歌壇佐佐木幸綱選一席入選/坂口弘『暗黒世紀』

→こういうことを生涯一の喜びにする人もいるのだなあ。いろんな投稿者がいるんだとあらためて思った。それくらい喜びのない場所にいるのだと見たら失礼だろうか。


男泣きの声を澄まし聞くおそらくは母の訃報を知らされしならむ/坂口弘『暗黒世紀』
今日もまた男泣きする声すなり母の訃報を読み返しゐるか/(同)

→さっきの牢のまわりの桜の歌もそうなんだけど、見えないものへの想像の歌に魅力を感じた。
泣き声だけでその男の母が浮かび上がり、訃報を読み返す男の姿があらわれる。


子の吾の死刑判決ありし日に行き処なくさ迷える母/坂口弘



はるかなる国に居(を)りつつ飯(いひ)たきて噛(か)みあてし砂さびしくぞおもふ/斎藤茂吉

→ヨーロッパでイタリアの米を食べているらしい。自分のいる所を「はるかなる国」という感覚。心は日本にあるのだな。
「噛みあてし」とはうまく言ったものだ。


長い長い沈黙ののちその人は「憐れみたまえ、神よ」と言えり/谷岡亜紀『風のファド』


敗退へ向かひつつ攻めゆきし無知負けて分かりぬ囲碁のことなれど/岡崎康行


習慣として舌打ちを続けたる農夫あゆめりイオンモールを/内藤瑳紀

「大学短歌会が行く!」から。
「習慣として」ってことわってるんだけど、気に入らない思いで舌打ちしてるようでもある。
自分の地域を詠むという意識があるんだなあ。



題詠「家」を詠うから。

玉音に集落の人あつまりき家(うち)だけにありしラジオの前に/高須敏士

エンピツとノートかたかた鳴らしつつ敵機の下を家に走りき/中門和子

→情報を得る手段であるラジオがひとつの家にしかないことに時代を感じる。その一方で、子供がエンピツとノートをかたかた鳴らして走るのは今だってある光景で、まるで古びていない。


家訓やぶり庖丁もちて梨を剥き夫は産後のわれにすすめき/山田てい子
→「すすめき」というのはあまり見かけない表現だなあ。
「家」のテーマで「家訓」がでてきた。失われつつあるもののひとつなのではないか。包丁を持つのがダメなのか、梨をむくのがダメなのか。この前の短歌研究の「男子厨房に~」の世界だ。



公募短歌館

「卑怯なり!飛び道具とは」といふセリフかつてはありき真実なりき/三田村広隆
→かつては敵との距離も近かったし、正々堂々戦っていたんだなあ。結句で短く、しかも強く考えが示されている。


「わからん」が口癖だったゆう君も「人も生き物」などとのたまう/松田貞代
→ゆう君はわかったようなことをいろいろ言うようになったんだろうが「人も生き物」は秀逸だなあ。当たり前のことを、さも深い内容であるかのように言う。


黒を白白を黒だと言い張って泣いて帰ってきたこともある/志村つくね
→ここでは佳作だけど、枡野浩一さんのコンテストだったらいいところまでいきそうな歌だ。
黒を白だと言うのは嘘やごまかしだけれども、泣いたことのなかには真実が含まれているだろう。


「お茶の間」が「リビング」になりわたしたち蛍光灯から紐を失くした/平岡和
→ここでは佳作だけど、うたらばだったら写真がついててもおかしくないような歌だ……と言ったら大げさか。
呼び方が変わっただけだったり、ただの紐がなくなったのに、こう言われると取り返しのつかない大切なものを失ってしまったように思える。

さっきの飛び道具の歌もそうだけど、蛍光灯の紐というのは蛍光灯とつながっていたわけだ。スイッチになると距離がでる。
時代とともに、いろんなものの距離がどんどんはなれていっている。








オレは今回掲載なし。また頑張ります。


んじゃまた。
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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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