篠弘『現代短歌史Ⅲ 六〇年代の選択』 第五章・私性と虚構をめぐる論争【後編】

篠弘『現代短歌史Ⅲ』第五章・私性と虚構をめぐる論争
〈「まひる野」の日常性論議〉

篠弘が塚本邦雄の「幼帝」を評価したこと。モチーフの新しい日常性と、それにともなう喩の直截性を評価した。

筑波杏明の作品をめぐる、篠の評価とそれに対する寺山の批判。
篠は「のびのびと自己のヒューマンな内部をあらわし、おおどかに抵抗感をあらわした点を評価した」とするが、
寺山は「あくまで、筑波杏明の置かれた現実への関心であって、表現された世界への関心ではない」とした。
寺山は「断崖」を対象とし、篠は「警棒」を対象としていて食い違いがある。


寺山は滝沢亘の『白鳥の歌』を批判する。滝沢の関心はつねに「自分の私生活」であるとし、いくら病人ではあっても、なぜ「いまある現実」しか詠めないかともどかしがる。塚本の賛同と、水野昌雄の反対。









篠弘『現代短歌史Ⅲ』第五章・私性と虚構をめぐる論争〈岡井隆・小瀬洋喜の「虚構論議」〉


兄たちの遺体のごとく或る日ひそかに降ろされいし魚があり/平井弘

平井弘は「兄」を創作し、細江仙子は「祖父」「母」を創作した。日本人の血脈にうったえる「母」「兄」といったフィクションに私性から脱却する可能性があると小瀬洋喜は「イメージから創作へ」で述べる。

岡井隆はこれに応える。
「平井の場合「兄」が虚構と考えるより、そういう「兄」をもつ「われ」が仮構であり、作者のアルター・エゴの化身と考えるべきではないか」
リアリズムの発想にフィクショナルな人物を接木するような試みにたいしては、岡井はきわめて否定的だった。

小瀬の反論は分析的なものだった。
塚本や岡井に〈うそらしい本当〉への努力があったとしても、平井の〈本当らしいがうそである本当〉という、もう一つの世界への躊躇がみられるという。

小瀬の分類はあまり歓迎されず、「図解して、ていねいに説明しているだけのことで、何ら新しい見解が示されているわけでもない」(黒住嘉輝)といった反応があった。








篠弘『現代短歌史Ⅲ』第五章・私性と虚構をめぐる論争〈「非日常」をもとめる論議〉

岡井隆の「〈私〉をめぐる覚書」の三つの方式。
第一、作品のなかの「われ」と作者自身が一体である方法。

第二、作品における「われ」と作者との間に第三の人物が介在して、「われ」と作者を媒介するケース。「ナショナリストの生誕」「思想兵の手記」。歌の作り手を仮構することによって、表白された作品の内容に客観性や普遍性をもたせようとする。

第三、一首の歌に三人称の主人公を仮構し、そこに「作者の分身」を定着させようとする方式。農民歌人である草野比佐男の「Q氏もの」がこれにあたる。


脂ぎる僧の読経のながながし Q氏逝き収奪のとどめの儀式/草野比佐男「Q氏の死」
「われ」ではないQ氏という「彼」を創ったことによって、はじめて可能となった自害の歌。

寺山修司の「Q氏もの」批判。「歌が比喩でしかなくなってしまった」
「短歌の特性は「われ」という言葉で他者を語るところにこそ、むしろ特色を持っている」


山中智恵子、前登志夫、菱川善夫の論が紹介されてこの章はおわり。
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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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