「神楽岡歌会一〇〇回記念誌」を読む  ~なんて明るい木だ、ほか

神楽岡歌会一〇〇回記念誌。

「神楽岡歌会」って全然知らなかったんですが、1ページの巻頭言を読むとそこはよくわかります。
月一回の京都の歌会で、「塔」「未来」の方が中心ですがほかの結社や無所属の方などもいらっしゃいます。

114ページで千円。インタビューがあり、歌会の歴史をふりかえる文章があって、エッセイのついた連作があって、座談会があります。




岡井隆さんのインタビュー。聞き手は大辻隆弘さん、吉川宏志さん。

自転車は弱者か(すこし言はせて貰ふ)よろよろと輪がななめに危(あやふ)/岡井隆

これが「塔」っぽい歌だと大辻さん。どのへんがそうなのだろう? こんなふうなおもしろい歌が塔にたくさんあればうれしいけれど。

送り仮名のつかない「危」で終わるのが不安定であやうさがある。「危」という字そのものがすべって転びそうにも見えてくる。
よろよろしているから弱者で、弱者だからいたわろうとはこの場合はまっすぐ結び付かない。歩行者や自動車からすれば、よろよろだからタチが悪い。


「人とぶつかって、その人の顔を見ながら声を聴きながらじゃなきゃその歌の本当の意味はわからないと思っちゃうんだな」と岡井さん。
詠草だけを見て点を入れてるときはその逆の状態で、それもまた歌会だが、直接ぶつかれるのが歌会の特長だなあ。



連作のほうからいきます。連作は15首で、あいうえお順です。35人の参加。

もしかして何も考えずに済む話 濡れている手すりを手で拭う/阿波野巧也「kinetics」
→たとえば階段の手すりは安心安全に登り降りするためのものだ。
ところが手すりが濡れていたら滑りそうだし不安だ。手で拭うと手すりは濡れてないが、今度は手のほうが濡れるからやっぱり不安だ。拭うことで濡れているものは変化するが安全の度合いはかわらない。拭うだけ無駄となる。
しかしそこまで理屈っぽくしてもしょうがない。何も考えずに、これはいい歌だということにしたくもなる。
下の句、N→T→T→Nという音の流れに、拭っても結局おなじことで堂々巡りなんだというニュアンスを感じた。


訊けばたぶんほんとのことをいふだらう音なき雨は窓をながれる/魚村晋太郎「駱駝」
→「ほんとのことをいふだらう」の裏に、嘘をつきたくなるような厳しい事実がありそうだ。
雨の無音は、問いの声・ほんとのことを答える声を引き立たせることになるだろう。雨が窓をながれる様子は涙を思わせる。


ゆるされずましてゆるさずつばさなき枕に頬を押しつけていた/大森静佳「海と海への鼓動」
→枕に頬を押しつける、これで体勢や時間がある程度みえる。枕につばさはないが、そこをあえて言っている。このつばさは、ゆるされなかったりゆるさなかったりするこの状況から飛び去りたい気持ちのあらわれかと読んだ。


上からぎゆうと押さへたやうな体格だ十字路に立ちビラ撒く知人は/小潟水脈「戻れないなあ」
→上と十字路っていうのを面白く思った。上からおしつけた力がビラになって四方向へ流れているみたい。
また、上からの力は天からの罰のようでもある。宗教的なイメージ。聖書に「種をまく人」のエピソードがあり、それを思い出した。


みづのしたたる時間の粒の点描のうねりつつ寄せ返す言葉は/尾崎まゆみ「春色のワンピース」
→いやあ、次々おこる変化にゆさぶられた。
蛇口かそれとも雨あがりの植物か、水がしたたる。それは水かと思ったら時間の粒になる。かと思うとこんどは点描で、たくさんたくさん打たれる。点描というとオレはすぐスーラをイメージするんだけども。
その点がうねる。うねってしかも寄せて返す。言葉になる。

「したたる」というささやかな動きで始まるんだけども、点描で数がふえて、「うねりつつ寄せ返す」という波のような大きな動きになる。


雲に月すっぽり隠れてしまってもしばらく後ろをひろく感じた/斉藤斎藤「湾岸をゆく」
→夜空の月が雲にかくれる。それによって見ている自分のほうにも閉ざされたような感覚が起きそうで、だけど起きなかった。
「しばらく」という時間の感覚もある。しばらくしたら狭くなってきたのか。そしてそれは雲に月が隠れた影響があるのか。

夜に背後をひろく感じたりそうでなかったりする、その感覚はなんともいえないもので、そこをとらえたのをいいと思った。


なんて明るい木だと私は思はれて蟻に中指を登られてゐる/澤村斉美「花と文字/日常」
→「思はれて」と、蟻の思考に踏み込んでいる。指を明るい木ととらえた。蟻からすれば人間も木のようなものか。
中指というのが具体的。指のなかではとくに長い。これが何指かで歌の感じが違ってきそうだな。


手をかざせば出てくるはずの蛇口なり 広島カープ6番は梵(そよぎ)/田中濯「帽子」
→いや、わからんのですよ。わからないけどこれは歌会で盛り上がりそう。広島カープについて知っているかどうか、この梵という選手について知っているかどうか、梵字について知っているか。上の句とそれらがどう響き合うのか。それ次第で別の読みがでてきそう。
「かざす」と「そよぐ」の組み合わせがいい。


白鳥はなすすべもなく飛び去って川いちめんにお城がうつる/土岐友浩「Honey Cake」
→「なすすべもなく」に白鳥のやりきれない悲しみみたいなものが感じられる。城に「お」がついたことで、おとぎ話の世界みたいになっている。白鳥は川に、あるいは城に、何を為そうとしていたのだろう。


飲み会と別れたあとに呼吸していない外灯ばかり過ぎゆく/虫武一俊「まだ知らぬ街」
→さっき大森さんのところで「つばさなき枕」が出てきたけど、「呼吸していない外灯」がこの歌にでてくる。ないはずのものを、あらためて無いと言うことで「有る」さまをそ想像させる表現。
呼吸していたらそれは生き物であるわけで、並ぶ外灯が生きていないということを感じている。
だれかと別れたのではなく「飲み会と別れた」ってところもポイントか。飲み会にある生き生きとしたものが、外に出たら感じられなくなってしまったという歌かなと。


蟇(ひきがへる)、蟇、また蟇、しなないと何度もめぐり来る夏/藪内亮輔「落魄」
→あまり見ない漢字だが、ひきがえるという漢字は、墓という字によく似ている。漢字一字でひらがな五文字分あるのもインパクトある。
ひきがえるが何度もめぐりくるようでグロテスク。


薄明(はくめい)と薄闇(うすやみ)は同じものなのだ 樹を見るかそこに死者を見るのか/吉川宏志「都城(みやこのじょう)にて」
→ルビを見ると、音読み訓読みの違いもある。
ぼんやりとしたなかに樹がうかび、死者が浮かび、それらが重なる。イメージのつよい歌。



座談会にあがってる歌からいくつか。

名前があるかあやしい山に昼下がりとなりの山の影が落ちている/斉藤斎藤
→影をおとすってことは、となりの山は高い山なんでしょうね。となりの山は名前がありそう。でもその山の名前のことは出てこなくて、影になっている山の名前のことだけでてくる。
影になっているし名前の有無もあやしい、それがなんだか不気味だと思った。

人間に置き換える読みを考えたりもしてみた。無名な人が有力な人物や巨大なシステムによって、……っていうのはつまらないルートか。


銀行で時間をつぶす ビニールの傘をビニールの袋に入れて/土岐友浩


冬だけをきびしく美化するゆびさきよパン屑を卓に圧して拾いぬ/大森静佳

→「きびしく美化する」。美化って甘いとばかり思ってたよ。
「圧して拾いぬ」。やったことある。指にくっつけて拾うの。つぶすこととすくいあげることがセットになっている。反対に見えるものが一つになっている。


カレンダーの筒にあああと言つてみる筒の向かうの曇つた日々へ/澤村斉美
→これもやったことあるなあ。声が太い声にかわるからおもしろいのよ。
「カレンダー」と「日々」が関係していて、太く重くかわった声が曇りのイメージに関係している。
筒の向こうと手前で別の時間があるみたい。



他に、時事をあつかった歌について話されていた。
なるほど、考えてみれば歌会と時事は相性がいいかもしれないな。
結社誌総合誌は作られた歌が載るまでに二ヶ月とか三ヶ月がかかる。新聞だって一ヶ月、はやくても半月くらいはかかる。でも歌会だったら一週間以内ということもありうる。




以上です。んじゃまた。
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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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