「短歌研究」2015年4月号を読む  ~赤ごはひとりぶん海を見る、ほか

短歌研究。2015年4月号。

いつものようにページの順番で書いていくんですが、最初は斉藤斎藤さんの「親指が数センチ入る図書館」からとなります。

太字と傍点部をそれぞれ辿っていくと、7首と5首の合計12首の連作になります。文字を拾いながら、書き起こしながら読みました。暗号を解くみたいで面白いと思いました。「小学一年生」とかでこういうのあったなあとなつかしくなりました。

それと同時に、これはこの区切り方でいいのだろうか、ほんとにこれで合計12首になるんだろうかと、終わるまでは不安でした。結果的に12首になったけど、そのように読めと書いてあるわけじゃないし、これはオレが勝手に拾い集めた文字列なんじゃないかと。

いかにもちゃんとした短歌ばかりならば安心なのですが、そんな不安を起こさせるような歌もありました。

この下になにが残されてないのだ。いったん場所場所に、土してる
などもそうです。今でもなんだか不安です。

希望によじ登られた土の断面に赤ごはひとりぶん海を見る
はなんだかわかるというか、つなげて意味をつくることができます。
赤ちゃんと一緒に津波から逃れるために斜面をのぼり、そこから赤子とともに海を見たのだと読みました。


すでに言った人もいますが、偶然短歌botとのつながりを指摘できるかもしれません。文章の中から短歌を拾い出すところは共通しています。
ですが、大きくちがうのは、短歌の形になっていないものを繋ぎ合わせて短歌にしたことです。
ばらばらのかけらを拾い集めて短歌にしている。断片的ということではそれ以前の斉藤斎藤さんの作品、「まで たかさ この」も断片的でした。小さく区切られて、意味が読み取れるような読み取れないような、その境界をさぐるような作品でした。

「短歌研究」2014年5月号 斉藤斎藤「まで たかさ この」を読む : ▼存在しない何かへの憧れ http://t.co/ikDv7p9OvB

去年の五月の記事です。

でも待ってください。
私たちはどうやって短歌の言葉を選んでいるのでしょう。一人一人が自分の作った言葉だけでしゃべっているわけじゃないでしょう? どこかで見聞きした膨大な量の言葉のなかから言葉を選んで読み書きしているんでしょう?

この連作では10冊に満たない資料の抜粋から12首が作られています。
これは大変特殊ということになりはしますが、でもほかの作者の作品だって、その人がそれまでに読んだり聞いたりしてきたものから拾い集められた言葉から作られていますよね。

その膨大な量の人間の脳内の言葉は誰にも見ることができなくて、こちらの12首は見えている。見えるか見えないかという違いがあります。見えなくて当然のはずのものが、見えちゃってる。そういう特殊さだと見ました。

田中濯さんの角川の今月の時評を思い出すのです。将棋はコンピューターがかなり強い。短歌もそうならないとは限らない(まだ当分は大丈夫じゃないかとオレは楽観的なんですが)。
コンピューターが人間みたいに短歌をつくる、それが偶然短歌botでありあるいは星野しずるだったりその他自動生成の短歌です。

斉藤さんがやってるのはその逆というか、人間がコンピューターの短歌の作り方を真似て作歌している。
コンピューターが人間みたいなことをしているのに対して、人間みたいなことをしているコンピューターみたいな真似を斉藤さんはしているのではないのかなあと。
例えば、コロッケが美川憲一を真似てそれを美川憲一が真似ているような、……といったらかえってわかりにくくなりますかね。

それに加えてさっきの「まで たかさ この」みたいな言葉の分裂というかバラバラに細かくするやり方を組み合わせているのかなあと。
これに関してはそんな感じでゆるしてください。



特集一は、「古典とつきあう方法」です。これ読むと、やっぱり古典とつきあうのって難しそうだなと思います。学生の頃から親しんでいるような方も少なくないようです。オレは大人になってもあんまり付き合えないでいます。

「この一冊、あるいは無用論」というサブタイトルがありますが、無用論はないと読みました。無用論があるとしても、ほんとに無用かどうかは自分で見たほうがいいので、結局無視できないように思います。
今読んでる篠弘が終わったら、万葉集をふたたびやってみるつもりです。いやあ、とても苦手だけど避けては通れないなあと思って。百人一首ももう少しちゃんとやったほうがよさそうだし。



作品。

口閉じて歯のレントゲン撮られをり背中に重いエプロンかけて/大松達知「R.I.P」
→日常の一コマですが、連作のなかで読むと、後藤健二さんの歌がつづいた後なので、そういうふうにも見えてきます。


だしぬけに「そうだ」と歌ふアンパンマンマーチ、さうだよさうだ生きよう/大松達知「R.I.P」
これの逆なのが「いいえわたしは」と歌い出す「さそり座の女」。何度も美川憲一を出すようでアレですが。


特集二は「てのひらの歌」です。これ読んで、いい歌が多いなあと思いました。「てのひら」ではなく「手」の歌も見られました。

我にむなしき双の掌ありて耐へがたし雪ふれば雪をとらへむとする/安永蕗子『草炎』


この世なるふしぎな楽器月光に鳴り出づるよ人の器官のすべてが/永井陽子『ふしぎな楽器』


左手が右手をやさしく撫でてをり若き頃にはなかりし癖か/稲葉京子『忘れずあらむ』


右の手と左の手かさねあはすれば女男(めを)のごとくに息づきあへり/伊藤一彦『微笑の空』

という歌への北久保まりこさんの読みになるほどと思いました。「男女」じゃなくて「女男」にしている点への注目。


てのひらをひらけば のこゑのしてとづればてのひらそのものがない/渡辺松男『きなげつの魚』



県の名に続けてわが名よぶあそび 幸多(さは)なれよ福島修一/坂井修一

→これは「作品十首」から。


一つ鳴れば一つかなしき百鳴れば百もかなしき昼の風ぐるま/雨宮雅子『鶴の夜明けぬ』
→追悼のページから。
風ぐるまのひとつひとつがみんな悲しみをもっているのだなあ。



作品季評。このメンバーで「ひだりききの機械」を読んだらどうなっていたか、また以前の小池さん達のときに「トントングラム」を読んだらどうなっていたか、と考えました。

この中では穂村さんの
「一瞬考えさせて、あ、そうかと思わせるようなことを瞬時に、でも普通の人よりも鋭く言える能力とか、こういうところに今短歌は来ているのかなあ」
という発言が印象にのこる。
光森さんの時評とつながってきそうです。



うたう★クラブから一首やってこの本は終わります。

なりたくてなった俺だよ使い捨て酸素ボンベはあと3つある/内藤望
→なりたい自分になったわりには息苦しそうです。でもそういうものですよね。したいことができたから人生バラ色なんてことはなくて、それにはそれの苦しみがあります。
酸素ボンベは減っているようだが、3つは多いのか少ないのか……。







おまけ。
オレは短歌研究詠草2首。四ヶ月続けて2首。この欄での米川千嘉子さんの選は初めてだけど、準特選の人たちはいつもとあまり変わらない感じだ。

さみしくて語り始めた二秒後に歪んで嘘になる、それを知る/工藤吉生
夢に出る神も天使も愚かなるオレの思いを逸脱できず/(同)


うたう★クラブは斉藤斎藤コーチ。佳作で星無しだった。歌を見るとなるほどと思う。送る前に自分でそう思わなきゃだめだよなあ……。

悲しみに更新されて喜びは消えて奥歯に残るネギの香/工藤吉生




んじゃまた。
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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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