山田航『桜前線開架宣言』を読む【3】21-30  ~意外に軽かったみかん、ほか

桜前線開架宣言。三回目。21人目から。



▼21



カーテンが外へふくらみ臨月のようで中身は4年3組/岡野大嗣

岡野さんかあ。短歌を始めて間もないころから知ってるような人だから、馴染み深く感じる。
例えば、うたらばブログパーツの25~40回あたりに名前があるような人に対してはそういう馴染み深さがある。

→この歌は見立てのおもしろさもあるし、そういう光景を見たことがあるなという懐かしさもある。クラス全体がひとつの家族、というほどまとまってはいなかったにしても。


「もしかして知り合いかも」に現れる名がことごとくことごとく戒名/岡野大嗣
→これはべつにそういう経験はないけど。
「ことごとくことごとく」に戒名みたいな長々しさがある。このような「死」の迫り方もあるんだな。



▼22



少しずつ嫌いに傾きゆく人に手品をわれは見せているなり/花山周子

友達は私のいないときの私の自画像を怖いと言うなり/花山周子




金稼ぐこといろいろに考えて興奮をして熱を出したり/花山周子

お金の計算が好きなり桁繰り上がるたび胸はときめく/(同)

→お金の歌がある。興奮したりときめいたりしている。それがいやらしくならないのはなんだろう。素直に表現しているからだろうか?


ミッキーマウスの顔の不気味な構造に描こうとしつつ驚いている/花山周子
→これはもっと突っ込んだ話を聞きたくなる。どこがいかに不気味であるかを。
黒い丸い耳がそうなのか、額か、目か、鼻か、なんなのか。



▼23



何してもムダな気がして机には五千円札とバナナの皮/永井祐
→何をしてもムダな気、五千円札、バナナの皮。これら三つをつないで筋を通したくなる誘惑にかられるが、ピタリとは合わない。
五千円札は樋口一葉だなとか、バナナの皮は滑るぞとか、広げようとしてもだめだ。なんだろうなんだろうという感じだけある。


昼過ぎの居間に一人で座ってて持つと意外に軽かったみかん/永井祐
→こっちはなんかわかる気がした。みかんが軽く感じたのは、それまでに思い込んでいたみかんの重さがあって、それに比べて軽かったのだ。経験や推測、あるいはその時その時の気持ちがいつのまにかみかんに実際とちがう重さを与えている。


今日は寒かったまったく秋でした メールしようとおもってやめる する/永井祐
→「今日は寒かったまったく秋でした」ってメールに書くだろうかと考えると、どちらともいえない。「寒かった」と「秋でした」で口調がちがってて、これがメールの本文なのか頭のなかだけで思ったのかわからなくなる。その境界の曖昧さがポイントなのかなあ。



▼24



ひまわりの顔が崩れてゆく町で知らないひとにバトンをわたす/笹井宏之
→ひまわりが枯れてゆく夏の終わりなのか。「知らないひと」は顔が崩れて知らない顔になってしまったのか。バトンをわたしてるけど運動会のように見えない。夏から秋への季節のバトンが渡されているのかと思った。


一生に一度ひらくという窓のむこう あなたは靴をそろえる/笹井宏之
→これってつまり窓が開いているからあなたが見えるのか、それとも閉まっているけど窓越しに見えているのか。ひらいていたら劇的だけど、閉じているほうが静かでいいな。
靴をそろえるのは、次に出かけやすくするための動作だ。

でももっと、フワーッとした不思議さで丸をつけたのであって、それ以上は後からくっつけたのだ。

自殺の景だという指摘をいただいた。


果樹園に風をむすんでいるひとと風をほどいているひとの声/笹井宏之
→収穫のための手の動作は、結んだりほどいたりしているようにも見える。でもくだものではなく風なのだ。見えない架空の果物なのか、などといくらでも想像できる。
この声までが風の音のように届いてきた。



▼25



冷水でよく手を洗う 親ウサギが子どもを踏んで死なせた朝に/山崎聡子

という歌一首にしか丸がついてなかった。今になって読み返しても特に丸をつけたい歌はない。
以前、おかまの聖子ちゃんの歌にひどく感動したことがあった。

縁日には、おかまの聖子ちゃんが母さんと来ていた、蜻蛉柄の浴衣で/山崎聡子

→聖子ちゃん、には松田聖子のアイドル的なイメージも重なるし、「聖」の清らかなイメージもある。生まれた時に男だったなら男の名前をつけられたはずだ。聖子というのはおそらく自分でつけた名前なんだろう。そこに願望をみる。聖なるものでありたい、あるいはアイドルでありたいと。
息子が女になってしまったらその母はどんな心境になるのか、どんな親子関係になるのかと思うが、一緒に縁日に来ている。
誰と来たとか浴衣の柄がどうとかを言うのは、直接接触してないからだ。

この蜻蛉柄は、「おかまってどんな浴衣を着るんだろう」という目で見られている蜻蛉だ。
「縁日には」ってことは他の場面ではあまり人前にでてこないのかな聖子ちゃんは。だから、「来ている」ことだけで印象に残る。

この聖子ちゃんはどこにいても「おかまの」という言葉を名前の上につけられているんだろうね。ただの聖子ちゃんにはなれない。
縁日で見かけた、ってだけの歌だけど、聖子ちゃんの背負ったものの重さを思わずにいられない。


……と2013年のオレが書いていた。たまに、昔のオレの方が書くのがうまいかもと思うことがある。



▼26



自転車の高さからしかわからないそんな景色が確かにあって/加藤千恵

あなたへの手紙を書いて引き出しにしまってそのまま忘れるつもり/加藤千恵

→二首とも、ちょっとしたこまかいところ、わずかな隙間を指差していると思う。
歩いているときの高さと自転車の高さのほんの少しの違い。手紙を書きはするけど渡すことも捨てることもしない気持ちのありかた。


この場所が海だったように教室は確かにわたしたちのものだった/加藤千恵
→現在は陸地になっている場所が、はるか昔には海だったなんてことが言われたりする。もう自分達は使わなくなり別の生徒たちが入った教室にいだいている気持ちがあらわされている。


この本の40人のなかで、「かんたん短歌」周辺の人は一人か二人くらいだな。佐藤真由美さんとか、佐々木あららさん天野慶さん宇都宮敦さんらのことも思う。
こういうアンソロジーって、選ばれなかった人のことも気になるものだ。別の40人を想像してみたくなる。



▼27



ゆっくりと両手で裂いていく紙のそこに書かれている春の歌/堂園昌彦
→ゆっくりと両手で裂く動作に、春の歌への単純でない思いが見えるようだ。


生きていることが花火に護られて光っているような夜だった/堂園昌彦


僕もあなたもそこにはいない海沿いの町にやわらかな雪が降る/堂園昌彦




▼28



焼却炉のなか日めくりの木曜がかがやきながら燃えつきにけり/平岡直子
→木曜って一週間のなかの地味な曜日のひとつだ。それが燃やされるときになってかがやいている。
毎日は過ぎていき、どの毎日もかがやきながら燃えていくということを思う。


ほんとうに夜だ 何度も振り返りながら走っている女の子/平岡直子
→振り返ることでほんとうに夜であることを確かめているというのか。夜は後ろから来ているのか。走っているのは夜から逃れようとしているのか。
きっと夜は女の子を包んでしまうことだろう。


燃えうつる火だというのにろうそくの上で重たげにゆらめいている/平岡直子



▼29



弟がふたりいまして浴槽につかるおしりにつぶれるケーキ/瀬戸夏子
→こういう難しそうな人に対しては、つい、あんまり難しくなさそうなものを選んで丸をつけてしまう。
二人の弟が浴槽につかろうとしたらおしりでケーキをつぶしたんだな、となんとなく読める。浴槽のなかにケーキがあるはずなくて、そこに驚きがある。アメリカの子供向け番組だったらギリギリありそう。

もしかすると切れているのかもしれない。弟と、浴槽と、ケーキは。
切れているのかもしれなくてもやっぱりひとつづきに書かれているからさっき書いたように読んでしまう。お湯にぐずぐずになったケーキのイメージが頭を離れない。


よい子だけが星座になる 部屋が四角く区切られて 言うこともできないけど/瀬戸夏子
→「よい子」はおとなしくしている子のことを指すことが多い。しずかに瞬いている星のイメージと重ねられているのか。
四角く区切られた部屋で子供を管理しているのか。
「言うこともできないけど」と言われると、そこに何かを見出だしたくなる。


望遠鏡にあなたはめぐってキキララが痴呆のように同姓同名/瀬戸夏子
→さっきの歌で子供と星を重ねたが、これもそういうことなのかなあ。キキララはキラキラに近い。
「痴呆のように同姓同名」は印象的なフレーズだ。


ではなく雪は燃えるもの・ハッピー・バースデイ・あなたも傘も似たようなもの/瀬戸夏子
→「・」が三つある。「ハッピー・バースデイ」はわかるが、その前後にも「・」がある。結句から初句につながりそうで、そのあたりも形のさだまらないウネウネとしたものを感じる。ハッピー・バースデイが無限に繰り返されるような。



▼30



なんとなく早足で過ぐ日差し濃く溜れる男子更衣室の前/小島なお
→「日差し濃く溜れる」に、更衣室の外側から見えないもの、たとえば、生または性のエネルギーが予感されるようだ。


わたくしも子を産めるのと天蓋をゆたかに開くグランドピアノ/小島なお
→「天蓋をゆたかに開く」はいいなあ。グランドピアノが生き生きとしてくる。
グランドピアノの子とはなんだろう。音符のことをオタマジャクシと呼ぶことがある。


きみとの恋終わりプールに泳ぎおり十メートル地点で悲しみがくる/小島なお


ブラスバンドのバスの音ばかり聞こえつつはじめて愛を告げられし夏/小島なお





つづく。
スポンサーサイト
プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

最新記事
リンク
月別アーカイブ
フリーエリア
カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR