「塔」2015年9月号を読む  ~店長あなたも宇宙の一部、ほか

「塔」2015年9月号。

さっそく月集から。


わが裡の何かをしずかに呼びさます小岩井農場羊の声は/三井修「牧場」
→よくわからない何かと具体的なもの(ここでは「小岩井農場」)の合わさったおもしろさ。
羊を数えて眠ろうとすることがあるが、こちらの羊はそうではないようだ。


尻尾いつもおもちゃ箱から飛び出してゴジラのゴツゴツ淋しきイボイボ/前田康子「今さらに知る」
→子供のおもちゃは大きさも形も材質もさまざまだ。きっと大きいだろうゴジラの、尻尾がはみ出ている。「ゴツゴツ」「イボイボ」とやや似たようなオノマトペが重ねられ強調されている。存在感がある尻尾だ。ほかのおもちゃのようにおさまらないさみしさか。


DVから逃れ出でよと差し伸べる手があり女性トイレの隅に/池田幸子「国府宮吟行」
→掲示物かなにかにそう書いてあるのだろう。そこを省略したので、ほんとに手が伸びているみたいになっていて、救いだろうけどちょっと不思議だ。トイレの隅から手に引っ張られて異世界に連れていかれるみたい。


ごちやごちやとわが心なりこの頃は母の手紙もほつたらかして/岩野伸子
→初句の「と」が生きているんじゃないかなあと。ここが「の」だと平凡になる。「と」にすることで心が目に見えるくらいに実体化しているように感じられる。


をちこちにテトラポツトの積まれゐてふる里の浜の景はもうなし/上田善朗
→そんな感じ方もあるのかと思った。テトラポットって、どちらかといえば詩のアイテムだと思っていたので。

揮発性ラッカーで書く火を吐くように書くテトラポットに「愛よ」/増田静「ぴりんぱらん」

たとえば過去にはオレは上のような歌を紹介したことがある。



ピラミッド四段目の馬の少年の母はわが娘、感涙してをり/亀谷たま江「あぢさゐ」
→親バカな感じがおもしろいと思って丸した。
「少年の母はわが娘」がくねくねした言い方だ。親、子、孫、というピラミッド。



つづいて新樹集から。

記憶には海の欠片がふくまれて時々、指に切り傷を負ふ/浅野大輝
→記憶が過去を歪めてしまうということがある。美化したりだとか。
海が切り傷をつくるようなものに変わるという、記憶の変質の歌としてまずは読んだ。
だけどそうではなくて、海に苦い思い出があるということかもしれない。この「、」が欠片のようだなあ。


木の橋が石になりたり馴染みゐし川のほとりにそれより行かず/仙田篤子
→これはさっきのテトラポットの歌に近いのかなと。木より石の橋のほうが安全だし、テトラポットだって役割がある。でもそれによって失われるものもある。


前輪で避けたる蟻を後輪で轢いたかも知れず自転車を漕ぐ/浅野次子
→これは百葉集から。
世の中にはコントロールできることとできないことがある……といったふうな、意味の膨らみを感じた。



作品1

なにが素直な気持ちなのかと自問して誰にも言へぬ自答を得たり/千名民時


「ON」押して灯すちひさき電卓にすでに答のごとくゼロある/朝井さとる

→この「ゼロ」に深い意味がありそうで、しーんとした気持ちになる。結局すべては無なのだと言われたような。


言い訳をするなおまえの窓の大きさは聞いてはいない ひらけよ/山内頌子
→ぐいぐい押し付けてくるような歌だ。大きいか小さいかではなく、ひらくことなのだと。


円柱の向かうは見えず見えぬままくろき何かとすれ違ひたり/吉澤ゆう子
※吉は土に口
→円柱というと大西民子の有名な歌もあるけど、見えないということは不安をかきたてるものだ。


やまさとはかすみわたれるけしきにて 視力表のかな一字づつ読む/澤村斉美
→ああ、これは縦書きじゃなきゃだめなやつだった。
上の句のひらがなであることと、その内容も視力表に対応している。



作品2。一欄二首~三首くらいで一気にいく。

あたらしき部屋にてスーツのままに食むフライ五本のあたらしきのり弁/柴田匡志
→「あたらしき」が二回でてくる。
コンビニの弁当とか、よく新商品とか新発売って書いてあるけど、ほんの微妙な違いしかなくてまったく新しさを感じられないものだ。フライ五本が「あたらしさ」か。
スーツはなんだろう。


暗室に写真現像教えんと我を誘いし君のまつげよ/松塚みぎわ


日の丸の扇子が売られ中国製そっと手に取り煽いでみたり/村 京

→下の句の動作に疑いや不安があらわれているようだ。


唐突に君に会いたい今君に会いたいと思う君に会いたい/山岸類子
→ひたすらさにこころ打たれた。発作のようだ。


店員がコーラを置きて去りしのち続きを歌う「キューティーハニー」/田村龍平
→キューティーハニーは大胆な歌で、特に男が歌うのはかなり恥ずかしい歌だ。人に聞かれたくない。それでも最後まで歌ってハニーフラッシュを決めたかったんだね。


前川の『東京砂漠』の絶唱のごと聖橋交差点西日を受ける/北野安太
→前川というと佐美雄を先に思い浮かべるくらい短歌の人になったオレだが、これは前川清だ。
景色に歌謡曲を感じることはなかなかないなあ。それも「絶唱のごと」ときている。歌いぶりによって景色が異なるのだろう。


なんであのとき捨てたのって二十年たっておまえはしずかなこえで/空色ぴりか


はつなつのひかりに白き腕伸びて箸置きを置き箸置いてゆく/北島邦夫

→飲食店の店員の動きだろう。まったく日常的なよくあることが、ひかりと白によって、まるでこの世のことではないかのように感じられる。


制服を脱ぎし看護師街中に会へば小さし早足にして/森永絹子


これ以上考えまいと行く道のどこもかしこもぬかるんでおり/宇梶晶子


売上をホワイトボードに書きつける店長あなたも宇宙の一部/江下夏海

→ああ、なんと宇宙から遠そうな店長だろう。
やっぱり動作が具体的だと面白味が増すことだなあ。「あなたも宇宙の一部」は宇宙の彼方から聞こえてきた声のようだ。


黄昏に善いカミサマを呼びだしてるるるるるるとお願いをせり/小川ちとせ
→最近、神様の歌をよく見かけるような気がする。その神様は世界をつくって動かしてはいるが、たいして尊敬されていない。
この「カミサマ」も呼び出されてお願いされている。善いカミサマがいるなら、悪いカミサマもいるのか。るるるるるる、は言葉じゃない伝達手段を思わせる。

神様がどう詠まれているかをツイログ(ツイッターでの過去の書き込みを参照できるサイト)で見てみた。神のでてくる歌はたくさんある。昔の人ほど神を敬ったり真剣に考えているように見えたが、さてどんなものだろう。


犬でさえ肩こり有ると聞く夕べ肩はどこやらちょっと揉みやる/棚橋道子
→肩がこっているかわからない犬の、肩なのかわからない場所を揉んでいる。「ちょっと」がいいな。


語尾ながき返事のやうな仏壇の鐘(リン)の音(ね)消ゆるまでを祈りぬ/久川康子


昨晩もおなじ時刻を二階へとおなじ気分でのぼりてゐたり/炭陽子

→これはあるかも。ほかの動作よりも階段をのぼる動作のときにそれをよく感じる。


職安のパソコン画面に神と打ち検索するも該当はなく/西之原正明
→これも神の歌。一体なにを探したのだろう??



若葉集

マスカットは汝の中を下りゆく口腔にありし夜半を連れて/鈴木四季
→体内のマスカットを透視しているような歌。いや、透視よりももっと奥までを見ている。
「口腔にありし夜半」は気になる表現。口の中が暗いということか、夜の空気を含んでいるということか。


中華鍋がカンシャンカンシャン吠ゆる夏父の好みし回鍋肉の夏/柏野一美
→オノマトペまでが中華風だ。「吠ゆる」もよくその雰囲気をあらわしている。熱く騒々しい調理の様子。




以上です。ほかにもチェックした歌などはいろいろあるんですが、長くなりすぎるとよくないので選んでいます。


オレが「塔」に出して掲載された歌のまとめはこちら。
http://matome.naver.jp/m/odai/2138733227024647201

んじゃまた。
スポンサーサイト
プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

最新記事
リンク
月別アーカイブ
フリーエリア
カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR