「塔」2014年7月号を読む【3】作品2、若葉集  ~君の遺影は微笑みゐるに、ほか

作品2。栗木欄から。

のぞみ号270(にななまる)のスピードできみの街から離れてゆけり/小林千代


春の夜半(よは)にひとり醒むればわが為にアニメを録りてゐたるレコーダー/篠野京


「苦しみと死をのりこえて」といふ冊子終点まへの駅に棄ててある/篠野京

→終点が人生の終点にかさなる。苦しみと死をのりこえられずに途中で力尽きてしまったか。


夕映えの光を返すばかりなり群るるヨットの引きし海面(うなも)は/高野岬
→海面に、いないヨットを見ようとしている。
「うなも」って初めて見た。


元気だせいきなりマイクわたされてマツケンサンバⅡが流れる/西之原正明
→元気の押し売り感がものすごい。オーレー!
いつも元気のなさそうな歌を寄せている作者だ。



田中雅子歌集『青いコスモス』評から良かった歌を引く。

大鍋にカレーを炊いて家を出て母は双子を産み終えしという/田中雅子『青いコスモス』
→母は強いなあと思うよ。
オレの弟が生まれたのがオレが18歳の時なんだけど、そのときの母のことを思い出していた。似たような感じだったなあ。オレはボンバーマンをやっていたのを覚えている。
ボンバーマン5ね。なんかすごくよく覚えてるの。やましいところがあるから、だと思う。


カーテンの裾のその下床までの空白確かな距離保ちたり/田中雅子『青いコスモス』


都はるみの歌聞きしあと音もなく口中に揺れる空を感じる/田中雅子『青いコスモス』

→わかる。伝染するんだよ。聞いてるうちに自分も都はるみ化してしまうの。その過程なんです、この状態は。唸りだそうとしているんです。



作品2、真中欄

あたたかき割にさらりとしてゐるとわが手の平は褒められたりき/高阪謙次


春泥に足をとられてよろめいてもう堅くない列島にいる/中山悦子

→平和や安全がとろけだしているのかねえ。


録画せし「相棒」二本見たる夫すつくと立ちて雪掻きをする/渡辺美穂子
→ 「すつく」がおもしろい。見るべきものを見終えた気持ちだろうか。そして、今自分が立ち向かうべき相手へと向かっていった。



作品2、吉川欄

ゆふ雲をひととき映し華やげる空きビルやがて夜に沈みたり/栗山洋子
→「空きビル」がポイントと見た。空の状態によって華やいだり沈んだりしているが、中はずっと無人。


夕凪ぎにぼくの気持ちも凪いでいてお釣り切れで使えない自販機/阿波野巧也
→吐き出したくなるような鬱憤のない心の状態と、釣り銭が出ない自販機が重ねられる。すこしくらいは吐き出すものがないと自販機は成立しない。人はどうだろう。


休日の作業現場の片隅に白梅の花咲き初めにけり/清島あつ子
→地味なようだけど、対比が決まっている。やかましく土を掘り返す現場を置いたことで、白梅のささやかさが出ている。


金管を三十五メートル巻きつけてホルンは成れり重みある音/田口朝子


青空の絵の具を借りて塗りすすむ「忘れる」という一枚の絵/太田愛

→「忘れる」を目にみえるようにするといったいどんなものになるのだろう?? 興味をひかれる。青空の青が使われているという断片的な情報がでてきて、ますます気になる。



作品2、三井欄から。

メッチャと云う言葉使いて孫達は筍飯を褒めくるるなり/石崎妙子
→孫に筍飯をほめられるのはうれしいけど、「メッチャ」にひっかかっている。この方は東京の方。「メッチャ」は関西のほうの言葉だろうけどテレビでどんどん広がっていった。オレの弟も言う。「滅茶滅茶」みたいな悪い意味のように感じる人もいるだろう。


機関車の発車の物真似得意なる人の居りたり昭和の頃は/石飛誠一
→時代とともになくなる物真似っていうのもあるんだな。
たとえばコロッケの物真似の主なレパートリーがいまだに美川憲一、野口五郎、五木ひろし、ちあきなおみ等々で時代を感じる。通じなくなっていくんだろうな。


北朝鮮の北に野蛮の野に中国の中に子分の子で北野中子/北野中子
→すごくおもしろい。普通はそういう時ってよくもわるくもない一般的な例で説明するものだ。わざと物議を醸しそうなものを引き合いに出している。
自己紹介になるような歌っていいな。名前を詠みこむとかもそうだけど。


玄関に泥よけマットを置いてみるSWEETHOMEと書かれてあるを/小林則子
→このSWEETHOMEは踏みにじられて日に日に泥にまみれてゆくのだ。


胸の奥の目の前にいる談志師匠の眼と声だけを畏れていたい/吉岡昌俊
→「胸の奥の目の前」がちょっと変だが、心の中に師匠がいるのっていいな。


弔辞手に読まむとするも声出でず君の遺影は微笑みゐるに/若山浩



特別作品では、飼い猫の死をあつかった古屋さんの一連が印象に残った。

流れゐる水のみじつと見つめいるも少し生きよなぜ水をみる/古屋冴子「黒猫」



作品2、黒住欄

夕ぐれて帰る駅裏わが影が白壁のなかくいっと立ちぬ/澤端節子
→影の歌って多いからあんまり簡単には丸つけないつもりでいるんだけど、駅裏っていう場所の限定と、「くいっと」が良かった。


ぎこちなく手を握り合ふ中年のカップル夜の街に消えたり/新谷休呆


水野さんの、母への憎しみを綴った一連が印象に残った。
枝垂れ桜父と植えにし記念樹を醜く切りぬ醜い顔で/水野弘康

初任給の五倍で買いたる写真機のニコンのカメラ母は捨て去る/(同)




若葉集

寄りかかるたびに軋める椅子の背とわれとたがいに今日を暮らしつ/風橋平
→椅子の背と自分が対等なのがユニーク。長い時間を共に過ごすことで親しくなったのだろう。


夕ぐれの中から少年走り来て無くしたもののように消えたり/村上春枝
→少年はどこへ消えたんだろう。「無くしたもののように消え」るって、わかるようでわからない。紛失したものって、いつどこでどうなくなったかわからないことが多い。
少年の消え方によくわからなさが残る。ほんとにただの少年だったのかと疑ってみたくなる。



批評欄から。批評欄の人たちがガラッと入れ替わった。

おまへにも見せてやるよとかまくらに子供が猫を押しこんでゐる/小林幸子
→こんなおもしろいのを見逃していたなんてショック。評は、書いてあることに全然付け足すことなし。


多分チェーホフの言ったことだと思うんだけど、「小説を書く時は最初の一文と最後の一文を削れ」という言葉がある。
澤端節子さんの選歌欄評はそんなことを思い出させた。いいものだが、最後がなんだか気になる。「ふわっと嬉しい一首。」「修練を怠らない作者である。」「ただならぬ作者でもある。」


一軒もコンビニなどのなき時代花屋の前で恋をなくせり/谷口富美子
→コンビニの前で恋をなくす時代、花屋の前で恋をなくす時代。なんとなく花屋が絵になる気がしてくる。


空色ぴりかさんの選歌欄評はですます調だ。いいなこういうのも。
「わたしも台所の机でこの原稿を書きながら、足下に寝転んでいるウサギを両足で挟んで、もごもごさせています。」って。自由だなあ。



新入会員紹介のところ見てたら「齢三十を過ぎてからの新たな挑戦です」って言ってる人がいて丸つけてしまった。
「齢三十」ですか。なんか三十が老人で、まるで始めるのが遅すぎるみたいな言い方じゃなあ。ワシは31で始めたの気にしておるのに。まだまだ若いですよと言ってもらいたいところなのにのう。やっぱり遅いのかのう。ふがふが。



編集後記は、最後の編集長の、歌会中は発言者を見るようにっていうのが記憶に残った。オレもじっと詠草一覧をにらんでるクチだなあ。気を付けます。

ということで今月の塔は終わりです。
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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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