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柴生田稔『星夜』を読む  ~死に向かふ生の底知れぬ虚無の淵、ほか

柴生田稔の歌集『星夜』を読んだのでこれについて書いてゆく。



まず柴生田稔についてオレが知ってることをまとめておく。明治37年に生まれ平成3年に亡くなったアララギの歌人。オレが読んだ『星夜』は昭和57年に出たもので、最後から二番目の歌集になる。

歌集以外の著書に『斎藤茂吉伝』がある。斎藤茂吉全集の編集に関わる。文学部教授を長くつとめた。
このへんの情報は小高賢編著『現代の歌人101』による。



篠弘の『現代短歌史』では、近藤芳美との論争を取り上げられている。

昭和24年に近藤芳美はアララギを厳しく批判する。
「数名の作者を例外として、『アララギ』其一欄の歌はほとんど愚劣と言ってよいのではなからうか」
「吾々に今一番大事な問題は一草一花の中に造化の神秘などを感ずる事ではなく、吾々の今生きて居る四周、社会、政治の中にあり、作者自身とそれらのからみ合ひの場合場合にあるのだ」

などなどといった内容らしい。篠さんの抜粋・要約によれば。

それに対して反撃するのが、オレが話題にしている柴生田稔だ。
「『政治』『政治』と念ずることは、切実なやうであつて、実は『現実遊離』の大きな危険性を、この間にはらんでゐる。何故かなら、近藤君みづからも言ふやうに『作品とは自らを晒すこと』だからである。」
「『文学』は結局『政治』を離れては成立しない。しかしその制作の心理活動だけは、絶対『自由』でなければ、傍若無人でなければ、そもそも文学にはならない。」
「社会意識や政治意識が目に立たなくとも、地味で手堅い『自然観照と身辺詠』の中にも、時代の影はおのづから映るのである。」


といった反論で、これに対しては近藤芳美は応答しなかった。

其一欄というのはベテランの欄で、其二欄は若手らしい。

このあと篠さんはそのあたりの時代のアララギのなかで文学と政治にふれたものはないか洗い出し、抜粋している。よく調べるなあと感心した。



三枝昂之『昭和短歌の精神史』では、柴生田稔は茂吉全集の編集者として数回出てくるのみだった。



では歌を見る。



高き窓に眺めてゐたり車通り人の通らぬ道はさびしく/柴生田稔『星夜』

→これはある。車に人が乗ってるんだけど、人が見えないと人を感じられない。オレは逆に、車の中にドライバーがいるのを見て奇異な感じがすることがある。



景一つ心に残るを見んと来し古き映画にその景はなし/柴生田稔『星夜』



何をするかわからぬ男に任せゐる一国のことも職場のことも/柴生田稔『星夜』




春過ぎて秋来(きた)るまで日々に移る緑の色に飽くこともなし/柴生田稔『星夜』



植ゑたしと思ふ木草をつひに植ゑずわが世はなべてかくて過ぎなむ/柴生田稔『星夜』



暮れてゆく空は一枝も揺るがざるままになべては暗くなりゆく/柴生田稔『星夜』


→自然の歌がけっこうあるんだけど、そういうのが苦手なオレでもすんなり読める。



ホチキスの針入るることを我はする我の好まぬホチキスの針/柴生田稔『星夜』

→まあホチキスの針が好きっていう人は見たことないけどね。好きとか嫌いじゃないものに好きとか嫌いと言っているところね。



この大学前に学生らと我と下りる時なほ遠き大学に行く学生群あり/柴生田稔『星夜』

→字が余りまくっている。事実をそのまま言っているんだが、さらに遠い大学に行く学生への気持ちがかすかに感じられる。



営々と我は努めて来しのみと思ひて長く闇に立ちたり/柴生田稔『星夜』

→「営々」とは、せっせと一生懸命に働くさま、らしい。
灯りをつける気にもならず考えること、オレにもある。怒っていたり、何か言い返すとしたら何を言うか考えているなあオレの場合は。



たしかに風邪は直りて来しことを午前十時ごろより意識し始めつ/柴生田稔『星夜』

→なんでこれを歌にして歌集に入れたんだろうと思う。完全に日記だ。なんだなんだと思いながら、でも丸つけたし紹介したくなった。
風邪が治ってきた感触を思い出す。



父の日をわれは忘れて母の日を妻は忘れず忙しき日々/柴生田稔『星夜』



この歌集は1ページに3~4首載っているんだが、83ページの3首はいずれも良い。老いと死の歌。次の三首。


葬ひに行かざる我をとがむると告げ来し後を打ち絶えてをり/柴生田稔『星夜』


その程度のことは老年の当然といふ意味なりき医師の言葉は/柴生田稔『星夜』


→年をとってくると、病と思っているものも治らないことが出てくるようだ。医師は言葉を選んでそれを告げてくる。


亡き人の死相ありありと出てゐしと気づくまでなる写真見出でぬ/柴生田稔『星夜』



われ鉄人(てつじん)なら君ら皆踏みつぶしてやるぞと我も言ひにき/柴生田稔『星夜』


→鉄人でもなければ踏みつぶすこともない、老いている「われ」だ。どこまでほんとかわからないような大きなことを言ってしまったことを冷静に思い返している。「も」があるから、皆でそういうことを言うような雰囲気だったのだろう。



戸を開けて今夜(こよひ)居たりき青葉の香(かをり)吹き来る風の寒くなるまで/柴生田稔『星夜』

→もっと暖かい季節に読むとさらにいいだろう、と思った12月。



敬老の日といふ休日がここに一つありたることは我の救なり/柴生田稔『星夜』



かかるおとなしきが現在の新風かと驚きて読みぬ数冊の歌集/柴生田稔『星夜』


→昭和50年の歌。



思ひ見れば風変わりな女性のみなりき我に好意を持ちてくれしは/柴生田稔『星夜』



スルモノトスル、スルモノトスルとしらじらとして読み上げてゐる/柴生田稔『星夜』


→まあ一方的な決めつけみたいで、さらにそれを前提にして何かしようというのだから、しらじらともしてくる。



戦ひても戦ひても負くる監督のことも思へり慰まなくに/柴生田稔『星夜』

恥ずかしながら「なくに」の意味を今まで知らなかった。わからなくてもなかなか調べないんです。「ならないのに」



新しき床(ゆか)よろこびて幼子の走りやまざる音の聞こゆる/柴生田稔『星夜』

→床を喜んでその上を走る、というところ。



老人に楽しいこともないしねと診察してくれし友も言ひたり/柴生田稔『星夜』

→会話を入れて変化をつけるやり方はこの歌集にけっこうある。
他にも同じことを言う人がいたのだろう。老人は自分が老人なのをずいぶん意識するんだなあ。



長寿法は約束にあまり忠実でないこととありけむ文章探し出し得ず/柴生田稔『星夜』

→自分が勝手に考えたことなのではないかという疑い。



未だなほ景をなさずと見てゐたり冬靄に浮かぶ超高層屋二三本/柴生田稔『星夜』

→長く見ていても、靄(もや)があっても景をなさないと。単位「本」。



夢うつつに繰返しゐつ野越え山越え行かねばならぬ行かねばならぬ/柴生田稔『星夜』

→「繰返し」と言ったあとの反復。はるか遠くから呼ばれている。
そしてこの次は、次のような歌だ。

死に向かふ生の底知れぬ虚無の淵をのぞき見たりき彼の夜の君に/柴生田稔『星夜』



今からでは何もならさぬがいいと三越の園芸主任教へくれしとぞ/柴生田稔『星夜』


→園芸についてのアドバイスなのだろうが、人生のことみたいにも読める。
三越はオレもよく行くので、つながりを感じる。



覚えなき女と思ふ夢にして何したりしか思ひ出せず/柴生田稔『星夜』

→あるよねえ。惜しいんだよこれが。



素朴なる男学生と思へども素朴のままにパーマネントせり/柴生田稔『星夜』



コンクリートの板壁破れ鉄条の彼方あらはに庭は荒れたる/柴生田稔『星夜』



何とか心理学といふものありて神よりも易々として審判下す/柴生田稔『星夜』


→「何とか」にしなかったら時代を感じさせる歌になったかもしれないね。



みどり商事不動産の角を曲ると赤井不動産の角を曲ると二つの道順/柴生田稔『星夜』



命絶ゆる肉体を離れゆくしらみおのづから連想する一人の男/柴生田稔『星夜』



老骨が若い世代に口を出す口出す方がいい時もある/柴生田稔『星夜』



この次は俺の番かと言ひたりし人はその如く命を終へぬ/柴生田稔『星夜』




というわけでこの歌集おわり。なんか合ってるみたいで面白く読んだ。
老人の歌もいいなと思った。庭のこととか誰かの葬式に行ったこととか、おじいさんの生活や愚痴やそんなんばっかりなんだけど、面白いのは、上手いからなんだろう。
プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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