角川「短歌」2013年8月号を読む  ~根本の態度

角川「短歌」8月号を読む。


新景詠みくらべは高野公彦さん。それより海の写真がきれいだ。






巻頭作品

清掃車のうしろが開きて次つぎと芥の袋噛まれゆく見つ/橋本喜典「発条(ばね)」

→なにげない歌。「芥」と「噛まれゆく」みたいなちょっとしたところ。



ゴミムシとゴミムシダマシ歓びはゴミムシにこそありと思はめ/永田和宏「秋さらば」

→ひどい名前の生き物がいるものだと思って検索したら虫の画像が出てきて少し後悔した。



尻尾にも網目はありて夕暮れの網目キリンは網目のなかに/永田和宏「秋さらば」



愛情と干渉のコイン裏おもて何度空へと投げても同じ/松平盟子「グレートマザー」


→コインの裏おもて、というのは慣用句だが、コイントスとして空に投げるというのがちょっと面白く感じた。



明るみの残る夜空へ蹴り返す小石を誰も飛び越えられず/山田航「シーズンオフ」

→明るみの残る夜空、をちょっと考えたけどこれは夕暮れだな。夜の方により近い時間というか暗さなのだろう。
自分が小石を蹴っているのか、小石に蹴らされてるのか。サッカー解説で「ボールを持たされている」ということが時々言われる。カウンター狙いの戦法のチームは相手にあえて球を持たせる。
後半は完全に余談であった。






特集は「うたの余白」。歌いかたを教えてくれる特集だ。



あづさゆみ春の手紙の二枚目に「やつぱり」といふ平仮名つづる/目黒哲朗『VSOP』

→治郎さんとオレでは読んでるところが少し違う。「やつぱり」しか浮かんでないからどんな手紙なのか想像の余地がある、というのはその通りだ。

オレが思うのは逆接としての「やつぱり」だ。便箋の一枚目に書いたことを、二枚目になってひるがえす、そういう「やつぱり」。書いてるうちに考えが変わる、そこに手紙のやりとりをしてる二人の親しさや打ち解けた様子を感じる。思ったことを素直に書いてるんだろうなあ。

そんなオレも、これを書きはじめてからますますこの歌は余白の生きた歌だと強く感じられてきた。春、二枚目、やつぱり。この断片の出し方はいいな。
「やつぱり」が平仮名だとあるが、漢字だと「矢張り」という表記で、戦いみたいになる。



「河野裕子のドーナツ論」の、名字へのルビの振り方が気になる。親族ではないアピール? つけるなら名前の方にもつければ自然なのに。

『言いたくてたまらないところを具体的なイメージ、リズムなどに転換するのだ。』というのは参考になりそう。

言いたいことは言わないドーナツ論を、後半になって「何でもアリ」と捨ててしまってるのがもったいないな。
ドーナツが前提になっているからこそ、たまに出る非ドーナツに効果が出るのだろう。普段怒らない人がたまに怒るとインパクトを与えるみたいに。



林檎箱を頭さかさに覗きゐし子が見あたらず林檎箱在る/小島ゆかり『エトピリカ』

→林檎箱が子どもを飲み込んだみたいでミステリアスだ。実際はよそで他の遊びをしてるんだろうけど。



驟雨来て雫せり草木草木草木草木馬頭観世音/岡部桂一郎『一点鐘』

→余白っていうか、カメラが動いている。雨の雫があって、並んでいる草木の数々をカメラは横切っていき、馬頭観音で止まる。



われならぬ人をめとりて老いたらむ人を想へどながく想はず/築地正子

→「ながく想はず」に余白があるんだろう。なぜ考えるのをやめたのかを書かない。つらくなるから想うのをやめたとか、自分には自分の生活があってそれどころではないとか、とてつもなく恥ずかしい記憶があるから回想することに堪えられないとか、そこをはっきりさせないことで余韻がうまれた。







米川さんと大森さんの対談。大森さん受け答えがものすごくしっかりしてる。自註してくださいと言われて普通にやっている。歌もすらすらでてくる。これが歌人なら、オレは200まで生きても歌人にならないだろう。オレより年下の人がみんな立派に見えて落ち込む時があるけど、そういう感じになった。



これでいい 港に白い舟くずれ誰かがわたしになる秋の朝/大森静佳



白藤のせつなきまでに重き房かかる力に人恋へといふ/米川千嘉子








岡井隆さんの「詩の点滅」。作者と作品。関心のある話題なので二度三度と読んだ。ここで言ってるのは、作者に関する情報というのは作品理解のためにはそんなにたくさん必要ない、ということだな。大事なのは信頼感、親愛感だけであると。



夕立ののち素足にて水飲めば前のめりなるさびしさの来ぬ/栗木京子

→なにか書こうとして書きかけたが、全部消した。そういう歌だ。本来はもっと消すべきなのかもしれないが、そうはしない。






作品12首。ここには○のついた歌はない。森井マスミさんは面白そうなんだけど、もう少し形を整えてほしい。惜しい感じ。






特集2は八月五日。戦争を経験した歌人の歌やエッセイが載ってる。知らないことが多かった。



弾丸(たま)を浴びし記憶語りて何すとか今この平和とっぷり世代に/清水房雄

→少し前まではこの人が苦手だったんだが、最近興味がある。徹底しているなあと感心している。幻想にも叙情にも欠けているオレだが、こういう道もあるんだなあと。



岡野弘彦さんは折口信夫さんの言葉を借りて霊魂観を語る。戦争によって死んだ者の魂は未完成霊で、深い祈りによって浄化されると。
それは、深い祈りを捧げずにいられない気持ちが生み出した霊魂観なんじゃないか。霊が完成したとかしないとか、わかるわけない。祈りに理屈が要るのだ。



尾崎左永子さんの話は、細部であるだけになかなか語り継がれないような内容だ。歴史は大きいところしか語らないものだ。
「藁の入った壁土のような餅が配給になった」
「爆弾の衝撃でピアノの位置が一メートルもずれる」
「列を作って並ぶことには強い抵抗感がある」

などいずれも印象に残った。



戦争は悪いものだ、という内容が続いているが、安藤昭司さんは少し違う。華やかな軍人生活を夢見る気持ちが今も消えていないようだ。敗戦を惨めだと言っている。戦いを続行した方がよほど惨めなことになるのでは、と思ってしまうが、こういう人もいる。


八月十五日、おわり。戦争についてはいままでもたくさんやっているんだろうけど、オレみたいに比較的最近読みはじめた読者もいるので、続けていただきたい。







作品7首。ふたつほど。


この家に秘密の空路あるごとく猫ら飛びかふ棚と棚とを/佐藤モニカ「パインカッター」



行き果てて驚く冬の砂浜に散らばっていた紙の白さに/堂園昌彦「砂浜で石を拾う/うみべのうた」


→散らばっている紙。もしかして雪かとも思ったが、これは紙なんだろう。砂浜を端まで歩いていったら紙が散らばっていた。オレはサイレント・ヒルの一場面(崖のちかくに紙が散らばっている)を思い浮かべているが、まあそういうのは置いといた方がいい。自然の中で突然人工物を見ると変な気持ちがする。
そんなところに紙を散らかす人の気持ちなどわかるはずもないし、驚くほかない。白さに驚くということによって、あまり白くない背景なんだろうなと想像する。







書評

それぞれに正しきことを誰も語り俺はうなづく容るる気はなく/島田修三『帰去来の声』

→島田さんの作品の一人称は一貫して「俺」だという。好感をもった。でもわからない歌が多い。



将来の死体三十七体をしずかに納める教室である/佐藤羽美『ここは夏月夏曜日』

→将来何になるかきかれて死体と答える学生はいないだろう。生きている生徒を見て、自分をも含めて、そこに死を見る。どうせ死ぬならなぜ学校でものを学んでいるのか……冷徹な視線を感じる。



追憶の彼方の恋や夕暮の空へ振るため人は手を持つ/照屋眞理子



母とわれと猫を包める陽のひかり時間よここを迂回して行け/照屋眞理子『恋』



アニメから政治番組にチャンネルを回ししごとき姑の入院/池田晴子『また、あした』


→日曜の朝のテレビかな。
オレの生活はどんな番組だろう……。






秋葉四郎さんの「作歌のヒント」は毎月読んでるけど、読めば読むほど「ヒントなんかない」という思いが強まる。近道や楽な方法があるという考えを捨てること、それが「ヒント」なのかなあと思う。

たとえば今月は読者のさまざまな悩みに答えてるけど、いずれも地道な回答だ。
「詠いたい現実に立って、今までの作品を超えるような作品を」
「恐れずに自分の経験をしっかり出せばよいこと」
「他人の目、評価を気にしすぎると歌は堕落します。」


表現上の質問にはつれない。「懸命にひたすら」やるしかないと。
ちょっとした工夫で歌がグンと良くなる……みたいなことを言わないねこの人は。ハッキリしている。毅然としている。
「根本の態度」という言葉が太線で書かれているが、根本の態度がしっかりしている見本を見せられたようだ。







題詠「庭」を詠う、は面白かった。選者によって面白さが違うとは思うけど、それにしても面白かった。


アルバイトにみんな行つてしまつたと庭球部主将壁打ちの冬/三田村広隆



うづくまり庭の草引くをあはれむな夕映えはいまわれを輝かす/曽根あい


→上の句の地味な様子と美しい下の句。滑稽だと思ったが、評にあるような矜持も、言われてみればありそうだ。



庭先にバドミントンを打ち合いて子との間合を計りておりぬ/原佳子

→子が成長すると間合いが大きくなっていく。







公募短歌館


死に様の理想のように道端に蜥蜴の描く美しき「S」/小林真希子



法務局 労働基準監督署 税務署もみな窓四角なり/木立徹


→奥村さんみたいな歌。文字の線の密集具合が他の歌と違う。



牧水のさびしさよ来よ吾木香すすきかるかや庭に植えたり/岡村禎俊

→吾亦紅すすきかるかや秋くさのさびしききわみ君におくらむ (若山牧水)

を踏まえているが、受け取りかたがまっすぐで、その姿勢がよいと思った。



以上です。
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プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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