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短歌研究2013年7月号を読む【前編】  ●特集 雨かんむりのうた、木俣修を再読する

短歌研究7月号を見ていきます。


ひたすらに日はわたりゆく夏柑の一つを残す木立の上を/小野茂樹

今年の始めあたりからか、短歌研究の表紙は「立ち返る歌」っていうのになりました。
これが微妙に有名じゃない歌をもってきてるみたいで、知ってた歌が今までないです。立ち返るっていうか、オレにとっては新しい場所であります。

小野茂樹といえば

あの夏の数かぎりなきそしてまたたつたひとつの表情をせよ

なんですが、この表紙の歌もまた、一つだけの夏の歌ですね。夏柑はなつみかんのことで間違いないようです。
表紙の黄色は夏柑の色なのでしょう。





巻頭作品

抱かれたき抱きたき表情の読めず鳥の交尾を画面に見おり/駒田晶子「水笛」


極彩色の一本つかむ願い事は(鈴の音)いつも(鈴の音)ひとつ/駒田晶子「水笛」


→極彩色の一本、って色鉛筆かと思ったら、これは神社のアレですね。ひもの先に鈴のついてるやつ。途中の(鈴の音)があることによって、時間を感じます。お参り中に詠んでるような。



数万の鳩を散らしてはるかなる千鳥格子の空をつくりき/内山晶太「蜂のひかり」


人生のない国にゆきうつくしい一瞬の遊園地に手をのばす/内山晶太「蜂のひかり」


→夢の中のことや幻想のようでもあり、現代日本への諷刺のようでもあります。「うつくしい」があるから諷刺はナシでしょうか。
人生のない国ってどこでしょう。ガンダーラとか思い浮かべました。やっぱりネットやゲームのような気もします。
「国」という言葉の大きさから「一瞬」の小ささ。そしてその間の等身大である「手をのばす」。






作品連載

高橋睦郎さんの作品は、冒頭の

人殺(あや)めねば食(じき)を得ず
寺廻(めぐ)らねば罪消えず
人殺めつつ寺廻る
──チベット民謡


が一番面白かったです。


ゴヤゑがくサン・イシドロへの巡禮の群集(くんじゅ)にわれにさも似しひとり/高橋睦郎「宙ただよえり」

私は美術が好きなんでカラヴァッジョもラファエロもエル・グレコも知ってるんですが、それでもあんまりいい連作とは思わなかったです。
終盤のモーツァルトのところもいまひとつで、以前は自称モーツァルティアンだった私に言わせれば凡庸です。






特集1は「雨かんむりのうた」。

静電気帯びいるドアのノブに触る人の心に触るるがごとく/三井修



雨の夜を画鋲つめたく光りゐてドガの踊り子踊りをやめず/新井貞子『幻野祭』



雨とほく降りすぐる夜にこゑは告ぐ耳に敷きたる髪の冷(さむ)さを/大辻隆弘『抱擁韻』


→実を言うと、この歌の魅力は魚村さんの文章によって気づいた。歌意や解釈、分析を書いてもらえるとありがたいとオレは思う。
そういう気持ちがあるからオレもその方向で書きがちなんだと思う。オレは自分が読みたいものを書きたいと思っている。



遠雷を わたしの父を社会から追ったすべての賢き者へ/柳澤美晴『一匙の海』





特集2は「木俣修を再読する」。
オレにとっては再読ではなく初読だ。短歌史のことで名前を見たことはあるけど、一首も思い浮かばない。そういう状態で読んだ。
それがとても面白かったんです。

まずは「木俣修 秀歌百首」。

むかひつつ言葉ならざるくやしさのきはまるときに時計鳴りいづ/木俣修



焼跡に蜻蛉を捕るとけふもゆくたたかひの記憶なき幼子よ/木俣修


その5つ後にこんな歌がある。

亡き吾子のまぼろしのこゑ耳をうつ蜻蛉を追ひて幼らゆけば/木俣修

→トンボを捕る、というのが子供らしい行動だったんだな。今はあまりやらないけど。
二首とも過去を見ている。一首目は戦いの記憶、二首目は亡くなった子のこと。



ものぐさのわが思ひたちしことのひとつ脚の屈伸を床の中にする/木俣修

雨の日はこもりゐるのみ杖もたば傘さすことの叶はざるゆゑ/木俣修


晩年はかなり老いの歌を詠んでいる。あんまり老人の愚痴とか好きじゃないんだが、いやな気がしなかった。自らの老いを見つめる態度に徹底したものがあるように思う。

秀歌百首のあとはエッセイ的なものがいくつか載ってるんだが、それぞれ特色のある良いものが揃っていると思う。

最初は来嶋靖生さん。

木俣修が北原白秋を師とすることは有名らしい。
短歌の世界は、誰が誰の師だとかそういうのをけっこう大事にする。「新・百人一首」って本をこないだ読んだけど、歌人のプロフィールの欄に、その歌人が誰を師としたかがいちいち書かれていた。

「現実直視とヒューマニズム」と小見出しがあるが、それこそ木俣修の作風だろう。
労働者を詠んだ歌にいいのがある。

鶴嘴(つるはし)をもちて夜業につくひとの地下のこゑ胸をうちてやまずも/木俣修『市路の果』

少年工のむらがり乗れる電車いま夕照りの坂をいつきに下る/木俣修『凍天遠慕』


亡き妻の鏡にたまる埃見ゆ春ゆふぐれの日ざし延び来て/木俣修『凍天遠慕』


→奥さんは鏡を使うし埃なんかもいつも拭いてきれいにしてたんだろう。
埃が日ざしによってことさらによく見えたんだろう。夕暮れには今も昔も雰囲気がある。


予告なくおそひ来し虚無書架のかげゆきもどりしつつひと日苦しむ/木俣修『愛染無限』

来嶋さんの次は三枝昴之さんの寄せた文章。これも面白い。
角川短歌が出てくるころに短歌研究がそれに危機意識をもっていたこと。中井英夫が今の短歌研究新人賞にあたるものを創設して寺山修司や中城ふみ子を世に出したのはオレでも知ってたけど、これによると木俣修の助言によるものなんだそうだ。
それなのに木俣修が前衛を否定したっていうのも皮肉で面白い。

それから三枝さんは木俣修の『昭和短歌史』が公正な書物ではないということを述べる。そして公正じゃなくても価値はあるということ。

そうなんだよね。個人の仕事に完璧を求めるのは無理があるとオレも思う。偏りが悪いなら、いろんな人のものを読むことでそれはある程度解消されるのでは。



塁々とかなしみ積みて来しものの眼(め)を見よこのわが眼鏡の奥に/木俣修『昏々明々』

水洟(みずばな)の走るははやし紙も布もとるひまもなく人前もなく/木俣修『昏々明々』


林田恒浩さんの書く思い出もいい。「恩愛かぎりなく」ってサブタイトルはアレだけど中身がいい。

恥ずかしい質問をしてしまったエピソードがある。そういう質問こそ核心をついているような気もする。
「歌集なんか五十歳になってから考えればいい」とか、前衛を「すぐ消える」とか、印象に残った。

木俣修は「形成」って結社をやってたんだね。で、その下にこの林田さんだとか外塚喬さんがいたと。
外塚さんは添削のコーナーのイメージなんだよなあ。角川で添削教室してて、NHK短歌のテキストでも添削教室やってて、しかも使われてる外塚さんの写真まで同じだった、という、ただのイメージの話。

真鍋正男さんの「生き方を変えた歌集」。鳥の短歌を理解したいがために鳥の観察を始めたことが書いてある。20キロの機材をかかえるとか、全国を訪ねるとか、数時間目をこらすとか、すごいことだ。ただ歌を理解するんじゃなしに、鳥を見るのが楽しいから続けられるんだろうと思う。



【続きます】
プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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