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枡野浩一『てのりくじら 枡野浩一短歌集Ⅰ』内容と感想

何冊か積んでる本がある。その中に枡野浩一さんの「てのりくじら」「ドレミふぁんくしょんドロップ」がある。実はオレはこの二冊は読んでなかったんです。「ハッピーロンリーウォーリーソング」と同じだろうと思って後回しになってた。それをつい先日読んだ。

オカザキマリさんのイラストと短歌が響き合っていてよかった。また、行の分けかたや歌と歌の距離なんかも違うから、そこにも新しさがあった。

ハッピーロンリーウォーリーソングについてツイートしてたのは2011年8月で、1年半ほど前になる。あれからいろいろ他の歌人の本や短歌を読んだり自分でも作ったりするようになり、歌の見方が変わった。そんなわけで、今この本の歌を読んで感じることや、イラストのことなど感想を書きたい。

ハッピーロンリーウォーリーソングのブログ記事を読み直したら、当時のオレは短歌をまだほとんど作ったことも読んだこともないのに、なかなかちゃんとしたことを書いてて、昔のオレってやるなあと思った。


▼存在しない何かへの憧れ : 枡野浩一「ハッピーロンリーウォーリーソング」内容と感想 http://t.co/VaeX6tus

やるなあとも思うけど、足りないなあと思うところもある。そのあたりを更新していきたい。

二冊を比べながら読んでいこうかと思う。まずは『てのりくじら』と『ハッピーロンリーウォーリーソング』の前半を比べながら見ていきましょう。

まず最初にデータ的なところをおさえる。『てのりくじら 枡野浩一短歌集Ⅰ』は実業之日本社、1997年9月23日発行。9月23日ってことは誕生日だ。

それと収録された短歌がほとんど同じ文庫本『ハッピーロンリーウォーリーソング』は角川文庫、2001年7月。



あしたには消えてる歌であるように冷たい音を響かせていた/枡野浩一『ハッピーロンリーウォーリーソング』

→という歌は、『てのりくじら』には入っていないことが確認できた。そうなると急にありがたい歌のような感じがしてくる。

これどんな歌なんでしょう。なかなかつかみどころがない。よく響いて冷たい音ってなんでしょう。オレが最初に考えたのは、ヒールのカツンカツンという音。階段なんかだと特によく響く。別れ話の後、ヒールを履いた女性が、もう二度とこない男の部屋を出て階段を降りていく場面。

もう1つ考えた。水滴の音なんじゃないか。夜中に、閉めきってない蛇口からぽたぽたと水が垂れる。それは朝には生活音に紛れて消える。あのぽたぽたにはリズムがあるし、よくよく聴けば音階もある。

でも無理に具体化しなくても、雰囲気は出ているし、いいような気もした。




こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう/枡野浩一『てのりくじら』

→これが『てのりくじら』の一首目となる。短歌集Ⅰの冒頭の一首なんだから、重要な歌だ。
オレは実はこの歌はあまりピンときてなかったんだけど、一首目だし、特によく考えてみた。

迫力を感じる。なにか迫ってくる。それは硬めの言葉使いからきているんだろう。「以上」「ありうる」「だろう」。それからなんといっても「ふざけた」だ。
ふざけた今日に耐えた男の迫力だ。そしてもっとふざけてるかもしれない明日に向かう男の迫力だ。

濁音の効果もあるんだろうか。下の句のD音とA音の効果は。




真夜中の
電話に出ると
「もうぼくを
さがさないで」

ウォーリーの声
/枡野浩一『てのりくじら』


→『ハッピーロンリーウォーリーソング』では一行書きだったのが、こちらでは何行かに分けてある。こうしてその通りに改行しても、縦書きと横書きの違いがある。ネットで引用するとこういうことがある。
句ごとに改行してるかと思ったら「と」だけが違う。「と」で間合いを作っている。

それから魚のイラストがたくさんある。この中に、一匹だけ違うのがいて、それを探すのかと思って探してしまった。でもこの中にウォーリーはいない。

そもそもこの魚はなんだろう。『てのりくじら』とあるから鯨なのかと思ったが、鯨じゃないと言われれば鯨じゃない。抽象的な魚だ。『ドレミふぁんくしょんドロップ』のキャラクターもやはり抽象的でなんの動物だかわからない。

そしてこの魚、どうやらちょっと浮いている。空を飛んでいるのか。地についていたらそれはそれで少しおかしい。ここが水中だったら普通に泳いでいることになる。




とりかえしのつかないことをしたあとで
なおくりかえす
悪夢や夢や
/枡野浩一『てのりくじら』


→石川啄木っぽい行の分けかただ。その三行分かち書きに反応するように、イラストもつり革が三つ並んでいる。

とりかえしのつかないことをしたら、それだけで最悪だ。その上に、それを夢に見たりする。悪夢と夢が分けられてるのが特徴的だ。「悪夢」とは夢でもう一度とりかえしのつかないことをする夢で、「夢」はとりかえしのつかないことをせずにすむ夢で、覚めてから夢の通りではない現実を思い出して苦しむからやっぱり苦しいんだと読んだ。

「悪夢や夢や」ってことはまだ何かあるわけだ。苦しめる何かが。すぐ思い当たるのは、急に思い出すことだ。フラッシュバックっていうんですか。それです。




殺したいやつがいるのでしばらくは目標のある人生である/枡野浩一『てのりくじら』

→相田みつをの字体でこれ書いてトイレに貼ってある飲食店とかいやだなあ。

この歌がこわいのは、三句の「しばらくは」だ。しばらくしたら目標なくなっちゃうんですか。この歌で目標がなくなるって何を意味してるんですか。

「目標のある人生」っていうのが立派な前向きな人生みたいで、そこに皮肉がある。「ある」の繰り返しがその立派さを増幅させているのである。




なにごとにも向き不向きってものがあり不向き不向きな人間もいる/枡野浩一『てのりくじら』

→これは仕事してるときに思い出す歌。なんでオレがこんなことしなくちゃいけないんだ、とか、オレはなんてできないやつなんだ、とか考えてると、この歌が浮かんでくる。




いろいろと苦しいこともあるけれどむなしいこともいろいろとある/枡野浩一『てのりくじら』

→苦しいっていうのは、何かを達成させるために苦しむことが多い。むなしいっていうのは、達成させてもそこに喜びがないからむなしい。やってる最中は苦しくて、やり終わったらむなしい。それではよいことがなくてつらい。
「苦」だけ漢字で、そこに目がいく。

そしてそんな苦しさやむなしさが堂々巡りであることを示すかのように、イラストでは魚のキャラクターが無限回廊を泳いでいる。どこまで行っても同じ場所に、またきてしまうのだ。

「いろいろと」を2回繰り返している。10文字も空いてたら言いたくなりそうだけど、何が苦しくて何がむなしいのかは言わない。そこは「いろいろと」なのだ。いろいろあるんですよね。




口笛を吹けない人が増えたのは吹く必要がないからだろう/枡野浩一『てのりくじら』

→一見当たり前なことを言っている。でもじゃあ、口笛を吹く必要がある、ってどういう状態だろうと考えると、どこまでさかのぼっていいのかわからない。アルプスの少女ハイジの歌に、「口笛はなぜ遠くまで聞こえるの」とあるが、そんな疑問を持ったことがない。遠くからの口笛を聞いたことがないから。

口笛の用途があるとすれば、人を呼んだり合図することだろうか。そこで口笛使わないなあ。いらないなあ。オレも吹けないんです。
オレが口笛を聞く機会といえば、佐々木あららさんのポッドキャスト番組のテーマ曲くらいのものだ。

そしてこのページではキャラクターが口から音符が出かかっている。音符は出るのか、出ないのか。それとも、これで音が出てる状態なのか。いろいろと謎なオカザキマリさんのキャラクターだ。




平凡な意見の前に言いわけをしておくための前置詞「やっぱ」/枡野浩一『てのりくじら』

→確かに平凡かもしれないけど、この「やっぱ」によって遍歴を感じる。「やっぱ牛乳でしょ」と言う時、その人は牛乳だろうとは思ってたけど、ポカリスエットとか六甲のおいしい水とかいろいろ試したんでしょう。でも最後に再び牛乳に戻ってきた。巡ったことで確信を持った。そこで出てくるのが「やっぱ」。
オレも言いたい。やっぱ枡野さんだと。




文庫版「サンタフェ」二冊キヨスクで盗んで走れ 改札口へ!/枡野浩一『てのりくじら』

→『ハッピーロンリーウォーリーソング』では“「サンタフェ」二冊”に代わって“「てのりくじら」を“になっている。

サンタフェは宮沢りえの写真集だが、知らない人も増えてゆくのだろう。文庫化してたんだっけ。

一番気になるのは逃走経路だ。キヨスクで盗んだのなら、駅の外に逃げた方が捕まりづらいと考える。
改札口には駅員がいる。自動改札だろうと。猛烈に走ってきたらあやしい。それに、切符を買わないと改札は通過できない。他の通過方法をとるにしても足止めになり不利だ。

電車に飛び乗ってそのままどこかへ行ってしまえ、ということかもしれない。盗みというタブーをおかして新しい自分になり、新しい場所に行け、と。テンション高めの命令形なのを、それでなんとか説明できないか。

キヨスクは改札口の中にあるのではないかという指摘をいただいたので調べてみたんだが、両方のケースがあるようだ。オレは改札入ってから物を買うっていうのが最初から頭になかった。

イラストでは、羽根のついたキャラクターがたくさんいる。スピード感の表現か。左側のページにはブーツをはいた魚。こいつも逃げたいんだろう。足を黒くしたまま。

サンタフェ二冊なのはどういうことだろう。写真集は一冊あればいい。ヌイてよごすからもう一冊、と想像したが違うだろう。あえてくだらないものを無意味な数量で盗ませたんじゃないか。盗みという行為が重要であって、何をタダで得た、とかは関係ないのだと。

→文庫版のサンタフェが存在しないことがわかった。安心した。あるのだったら、犯罪を命令したことになってしまう。短歌通りに盗む読者がいたら、人として表現者としてどう責任をとるつもりなのかとヒヤヒヤしていた。
物を盗んで捕まるっていうのは場合によっては人生を踏み外すことになる。人様の人生を壊したらオレなら責任感じる。彼の自由意志により行われた行為だとしても。ちょっとしたきっかけにすぎなかったとしても。
中島みゆきの「愛よりも」という歌に「物を盗りなさい」という歌詞があってそのたびいやな居心地悪い気分になる。「みゆきさんダメー!」と思う。歌の中と現実をもっと切り離せればいいんだけど。ゲームの中では平気で殺したりするんだし。



『てのりくじら』はここまで。『ドレミふぁんくしょんドロップ』に続きます。
プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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