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角川「短歌」2012年11月号を読む  ●第58回 角川短歌賞 発表

角川短歌買ってきた。公募短歌館で奥村晃作さんに佳作に選んでいただいた。ああ初めて角川に短歌が載った。小さく。

真っ黒でとても大きい 土産屋のハローキティがかぶる烏帽子は/くどうよしお




では読んでいきましょう。


超世代対談

これって対談ってなってるけど、年上の人が一方的にしゃべっている。若い方がそれを書いてまとめる。なかなか変わった面白いスタイルだといつも思う。

今回は篠弘さん。オレが今非常に気になってる方だ。短歌史家、短歌評論家、っていうのがまず珍しい。実作もするが、この方は研究し論じる方に重点がある。

篠さんは世界美術大全集の編集に関わっていたという。読んでたよそれ! ものすごいでかい重い30冊くらいある本だ。持って歩くのがしんどいから図書館に通って読んでた。あの大全集はすごく良かった。




作品28首

宮英子「手草としつつ」巻頭だが、どうなんだろう。28首に「老」って6回出てきた。年寄りアピールくどい。これを老人が「わたしもそう、わたしもそうなのよ」とうなづきながら読むさまを想像してみる。





群れなすは弱さのあかし地に雀海に鰯のありて追はるる/岩田正「水族」

→水族館で魚を見たという一連だが、なかなかいい。「水族」というタイトルもいいと思う





「ジロー、チェンジ、キカイダー」と命じても「ううう」と呻く加藤治郎は/穂村弘「無条件コーンフレーク」

→これ面白いなあ。今でもチェンジできそうな気もするが、ダメかしら。
ジローは子ども達の正義のヒーローなんだね。変身すると強くなる。でももうダメらしい。このキカイダーを応援する子が若手歌人だったりするのかどうか。
「ううう」はかつての「!」の連続する歌の名残りか。それとももっと違うことか。

加藤治郎と機械を結びつけるのはわかる。
例えば、有名な
1001二人のふ10る0010い恐怖をかた101100り0/加藤治郎
これなんかはとくに機械を感じる。




作品10首

われ知らず生まれ来しゆゑわれ知らず牛となりもうと啼く日もあらむ/杜澤光一郎「気がつけば」

→オレがオレじゃない生を生きたことがあるような気がすることもある。夢の中で無茶な設定も受け入れるように、牛なら牛で生きてそう。




第58回角川短歌賞発表

角川短歌賞発表を読む。藪内亮輔さんが「花と雨」で授賞したのはだいぶ前から話題だったが、ようやく読んだ。「受賞のことば」が落ち着いていて立派だ。



きらきらと波をはこんでゐた川がひかりを落とし橋をくぐりぬ/藪内亮輔「花と雨」

→はじめにいいなと思ったのはこんな歌だった。川の中を日の光を受けながら水が流れていく。橋を潜るときは光は遮られる。小さなものへの眼差し。
背の高い人が頭をぶつけないようにちょっとかがんで建物に入るみたいにも見えた。さっき「小さなもの」って書いたが、川は大きいものでもあるよな。




おまへもおまへも皆殺してやると思ふとき鳥居のやうな夕暮れが来る/藪内亮輔「花と雨」

→多くの歌に空の様子が出てくる。
鳥居のような夕暮れとはなんだろう。それは真っ赤で、真っ赤な夕暮れだろう。それは宗教的で、何か戒めるような大きな力だろうか。



雨はふる、降りながら降る 生きながら生きるやりかたを教へてください/藪内亮輔「花と雨」

→終盤には死にふれた歌が出てくる。
この歌には切実なものを感じる。手段でも方法でもなく「やりかた」という微妙に幼い言い回しも効果がある。雨にうたれてる気がする。

「生きながら生きる」について考えていた。なにもかも投げ出したくなるようなことや悲しいことがあっても、それでも「それはそれとして、それとは別に」自分の生を生きなければならない。そんなことを言ってるんだと思った。




墓地に立つ断面あまたそのひとつにましろき蝶の翅がとまりつ/藪内亮輔「花と雨」

→墓とは切断した石だ。蝶が石に止まる。 墓とか言っても人間以外が見ればただの石だ、そこに蝶がただ止まってる、とも見れるがもっと他の見方をしたい。
蝶が亡き人を悼んで墓にとまってる、と見たくなる。死の上を行き交う生。
蝶は白。死者に手向けられた白と読みたい




佳作も見ていこう


あなたから紫陽花のこと聞いたので紫陽花咲いてばかりのわたし/中畑智江「a pain」

→あじさいの話をする男性っていいな



月面にふたりの男の立ちしのちさみしさを月は知ってしまいぬ/鍋島恵子「ペットボトルとつりあう宇宙」

→何か得ることで欠乏を知ってしまうことあるある。月がさびしくなくなる日はくるのか。





雄弁な背表紙のごと雨の日の廂の下にあなたは立てり/笠木拓「フェイクファー」

→雄弁な背表紙の本と言われて最初に「チョコレート革命」を思い浮かべた。まあ、もっと背表紙に情報を詰め込んだ本はたくさんありそうだけど。要するに派手な服装だったんだろうと思った。まっすぐ立ってたから背表紙みたいだったと。




宛先と行き先のこと ことばには翼を畳むすべのなけれど/笠木拓「フェイクファー」

→これ良かった。ハガキに宛先を書けばそこが行き先となる。しかしハガキじゃなく、もっと別な伝達手段なら、宛先が行き先にならないこともあるだろう。言葉を翼のたためない鳥に例えたり、言葉を伝えることへの思いの強さがこの一首から感じられた。




5篇は50首全て載るが、ほかは座談会で引用されるのみだ。


252ページを見ると、もう次の角川短歌賞を募集している。審査員もコメントも同じだ。もう次が始まっているのか。なんかハードな世界だなと感じた。何ヶ月もかけてじっくり取り組むのも大事かもな。




角川短歌賞受賞歌人競詠

しろじろと瞼のような貝殻の散らばる浜をひとり歩みぬ/大森静佳「輪郭のつばさ」

→「しろじろと」は目立って白いさま、だと広辞苑に書いてあった。じろじろと見ているような気がしてしまった。
誰も見ていないのでしょう。孤独。そこで貝殻達が見れない目で見ている。絵が浮かんだ。静かで情感がある。  




沼ならば顔じゅうで笑え 沼ならばあなたのカメラは光を咲かす/大森静佳「輪郭のつばさ」

→作品同時批評で佐佐木幸綱さんが「咲かす」はフラッシュではないと言ってるが、オレはフラッシュだと思った。「カメラ」「光を咲かす」に加え「笑え」も写真を撮るときの「はい笑って~」という決まり文句だろう。沼を撮るのに沼に「顔じゅうで笑え」と言ってるのがいい。「ならば」もいい。

沼「ならば」はちょっと不条理かもしれない。川なら笑わなくてもいいのか? 海なら? みたいな疑問がある。だが、その強引さもこの場合悪くない。撮影時の「笑え」だって、おかしくないのに笑うという日常の不条理だ。写真は被写体に、求める。それと響き合う。




作品7首

メダリストのパレードを視るメダル無き選手の胸に広がる夏野/加藤ひろみ「夏野」

→夏野という言葉には夏の野という以上の意味はないようだ。広辞苑で確認した。
メダルがなければ、メダルがないという事実を胸に秘めているわけだ。メダルのない選手に注目してるのがいい。






大下一真さんの「日々のいろいろ」は髪のことが書いてある。5日に1回頭を剃ると書いてある。坊主頭を維持するってけっこうめんどくさそうだな。




書評

わが脳の断層写真をつくづくとみればキウイになにか似ており/小原文子「赤きルピナス」

→見たままなんだろうけど、脳にキウイが入ってるような気がして変な感じになる。




公募短歌館

犯人もその被害者も笑みてをり事件を報ずる紙面の写真に/宮嶋千恵子

→奥村晃作さんの選らしさがある一首だ。 実際はとても笑ってられない状況で、ギャップがある。
例えばオレはあまり写真を撮られないんだが、何かあったらどの写真が出てくるんだろうと思う。笑ってたりして。ありうる。



延暦寺梵鐘響く夕まぐれ一打五十円連打は禁止/前田信子

→こういう、上の句に叙情があって下の句で台無しにするのって、ありそうで見かけない。
五十円って金額がしょぼい。禁止しないと連打するやつとかいるのか。まあ、そんな決まりによって鐘の響きは守られているわけだ。





幸せな時間でしたと伝へたし吉田秀和氏の声と語りは/中村孝子

→これはグッときた。吉田秀和氏は最近亡くなった音楽評論家だ。「名曲の楽しみ」というラジオ番組をやっていた。
シンプルな歌だが、それだけにまっすぐだ。





以上です
 
プロフィール

工藤吉生(くどうよしお)

Author:工藤吉生(くどうよしお)
仙台市在住。2011年に枡野浩一さんの「ドラえもん短歌」の影響で短歌を始めました。

▽短歌雑誌「短歌研究」「角川短歌」などの読者投稿欄、
▽新聞歌壇「毎日新聞」「日本経済新聞」「読売新聞」「河北新報」
▽テレビ「NHK短歌」
などで作品を発表してきました。

短歌結社「塔短歌会」に2012年から3年間所属していましたが退会し、現在は「未来短歌会」彗星集に所属しています。

▽角川短歌ライブラリ刊行記念「わたしの一首」コンテスト大賞受賞。
▽第57回短歌研究新人賞候補。
▽Eテレ「NHK短歌」年間大賞(2016年3月、佐佐木幸綱選)。

ゴールデンボンバーの歌広場淳さんにツイッターで短歌をほめられたことがあります。

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