ぬらっ。納得いかない

ぬらっ


仙台のさくら野が倒産したとのニュースが入ってきた。ブックオフによく行くのでそのことを心配していたが、当面は営業するとの情報を得た。

東京ナポリタンがないのは残念だなあ。
それにしても突然のことだった。







ぜんぜん納得いかない評論をよんだ。
すぐ言いたくなるが、すぐ言うとヘマをする可能性が高い。
名前を隠してここに下書きしておく。




Oさんの、Eさんの連作に関する評論があるけど、ぜんぜん納得いかない。
Eさんがデモに参加してきたという連作はフィクションである、実体験ではないと強調されているけど、引いてある歌からは、フィクションだとは読み取れない。なにをもってフィクションだというのか。そんなの誰がわかるのか。


それに、フィクションだからといってこれがさらにおもしろく読めるとも思えない。嘘だというなら、ずいぶんつまらないことで嘘をつくんだなと思うだけだ。デモに参加しないのにデモを描こうとする、その動機はなんなんだろう?
ほんとにデモをやってる人からしたら、参加してないのにさも参加したかのように言われたらムッとするんじゃないか、残念に思うんじゃないか。オレだったら失礼な気がしてそこまでできないけど。

そもそも、フィクションとノンフィクションの境目だってそうはっきりしてないんじゃないか。似た体験はあったのかもしれない。中には入ったことなくても近くで見たとか。

「ドラえもん」で、ジャイアンがのび太に50円玉を見せて、これは表の模様が裏にあって裏の模様が表にあるとても珍しいものだから100円ぶんの価値がある、と言って騙す話があるけど、それと同じに見える。50円ぶんは過大評価じゃないか。


作者を主人公からはがそうとする力の強さに、はっきり言って辟易した。
作品によってプライベートをどう勘ぐられようとしょうがない。発表したら誰に見られるかわからない。表現した以上は引き受けなきゃいけない。覚悟だよ。言い訳を聞いてくれる読者ばかりじゃないよ。
Oさんが優しい読者なのはわかるし、オレもたぶんどちらかといえば優しいんだけど、その優しさが優しくない読者を締め出すことになり、短歌を弱いだめなものにする気がしてならない。短歌が、大目に見てくれる人だけのものになってしまうよ。

そんなわけで、Eさんの連作の特長はこの評論からはわかりませんでした。
以上です。



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保坂和志『カンバセイション・ピース』、そのほかの話題【2017.2.27】


2/16から2/26までのいろいろな話題。



▼カンバセイション・ピース


2/16

保坂和志『カンバセイション・ピース』を読み始めた。

はじめの家の描写がむずかしくてちょっと飛ばしてしまった。間取りとかをいろいろ言われても、知ってる家をモデルに考えてしまうなあ。
人が多いのも少し困る。でも人物はつねに一度に大勢が動き回ってるわけじゃないので気になるのは最初だけだ。

野球を見に行く場面がおもしろかった。細かいファンと、ヤジを飛ばしてばかりのファン。テレビ観戦では見えない部分。
猫たちがいい。
会話の流れかたがいい。
小説のなかでもエッセイに書いてるのと同じことが書いてある。チェーホフの「大学生」のこととか山下清のこととか。地続きだな。


▽2/17

160ページまで読んだ。四割。
木登りの記憶とか、一人で家にいて耳をすますところとかが良かった。


▽2/18

読んでたら、「死んでからが人生だ」という言葉に出会った。
何ページにもわたって植物に水を撒いたりしていた。これを読んでる時間は豊かな時間だなあ。


▽2/21

50ページ進んだ。ものすごく読みごたえがあったので、それしか進んでないのが不思議なくらいだ。
読んだのは小説だが、野球を一試合観戦したみたいだった。

二回目の野球の場面。よく覚えてるなというくらい細かい。いや、架空の試合なのかもしれないけど、そうは思えないくらい。
聞こえなくても全力で応援し、歌い、ヤジを飛ばして、噂に振り回されたり、あれこれ分析し、負けてはくやしがる、そんな野球ファンの熱さ。


▽2/27

読みおわった。おもしろかった。
家が主人公みたいなもんだな。

一日中ギターをやってる浩介がなんだか印象にのこった。

猫三びきがいきいきとうごきまわっていた。見えないのに、なんだか愛着すらおぼえた。亡くなっているチャーちゃんも、それに劣らず小説のなかに存在感があった。



▼新鋭四期

新鋭短歌シリーズ四期が動き出すようで、これがオレを緊張させている。いや、関係ないんだけども。

関係ないんだけども、全力で走ったら乗れるかもしれない位置に止まっているバスだ。三期のときもざわざわして苦しかった。でもなあ。今じゃない気がするんだよなあ。今じゃないけど先のことはわからない。
これを逃して遅くなるとしても、それはもうしょうがない。

しょうがないことなんで、早く過ぎ去ってもらいたい。オレのやってきたことなんて、まだ最初のピリオドを打つところにも至ってないのだ。オレをあせらせないでくれーっ



▼書を捨てよ町に出よう



"Throw Away Your Books Rally in the Streets (Full movie with English subtitles) PART 2" https://youtu.be/dpd5cdqcNXQ

寺山修司「書を捨てよ町へ出よう」後半を見た。前半はない。

後半だけだったが面白かった。すごいなあ。
三輪明宏をうんと若くしたような人が出演していると思ったら、本人だった。

もうひとつ動画がアップされてるけど、それも後半だけなんだよ。
古本屋でもあるね。上下巻の(下)だけ二冊あること。
しかもタイトルが英語でアップされてるから、しばらく「書を捨てよ町へ出よう」だとは気がつかなかった。

オレは東北の言葉聞いてると落ち着くよ。



▼グループ


「穂村・加藤・荻原」みたいなのに憧れる。御三家とか四天王とか六人組とか七人衆と呼ばれたい。
オレにあと何人かを足してグループにするとしたら、誰を足すとバランスがよくてなおかつ統一感がでるだろう。

そのメンバーで特に何かしたいということではなくて。
一緒に活動とかはなくて、自分達もべつにグループになったつもりはなくて、周りが勝手に言うのがいいな。

で、三十年くらいたってから、なにかのきっかけで一緒になるの。「ついに全員が揃うときが来たか……!」ってなるのよ。それってアツい展開なんじゃないの。


いやね、木下龍也さんとオレと誰かで御三家、みたいなツイートを見たもんだから。鍵アカウントのツイートだから探しても出ないけど。
それに、「短歌道場」のチームのツイートを見たりなどしたのもあって、御三家やチームが気になる。

木下さんとオレと、誰なんだ。誰を加えてもオレがへこみになる気がする。つまり、オレが凹という漢字のへこんだ部分みたいになってしまう。
パッと思い付く人は三人くらいいるけど、みんな歌集を出している。
歌集がなくて新人賞もないような人たちとじゃないとバランスが悪い気がする。どうかなあ。

「フフフ…奴は四天王の中でも最弱…」
っていうのがあるけど、そういう最弱の位置がオレには似合うんじゃないかとも想像する。最弱でも、強い人のなかに入れてもらえたらうれしい。




▼地方の短歌結社

宮城の結社誌「群山」の二月号が文学館にきていた。
代表の徳山さんが入院して選歌できない状態にあるということで、詠草の一首目から五首目を採用作として掲載する、ということになっていた。
心配になる。「群山」は200人近い会員がいる宮城最大の結社だ。

「宮城最大」って書いたけど、角川「短歌」の日本結社地図によれば、宮城の結社はアララギ系の「群山」と白秋系の「北炎」のふたつだ。「北炎」は終刊したから、もう「群山」しか残っていない。
そのほかだと「砂丘」っていう11人のグループの歌誌があるのを確認している。

全国から人が集まるような結社は残って、地方のはだんだん無くなるんだろうな。新しく立ち上げられてるふうでもないし、結社自体が減っていくと。そこまではわかる。

「群山」になにかあってもオレに直接の影響はないけど、200人はどうなるんだろう。どこかに移るって簡単じゃないと思う。手続きは難しくないが、心理的に。



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ぬらっ。新鋭四期/風

ぬらっ




いますごくにぎわってて、ニコニコ、短詩の風、うたらばの締め切り、昨日の振り返り、いろいろなんだけど、新鋭短歌シリーズ四期っていうのがオレを緊張させている。いや、関係ないんだけども。

関係ないんだけども、全力で走ったら乗れるかもしれない位置に止まっているバスだ。三期のときもざわざわして苦しかった。でもなあ。今じゃない気がするんだよなあ。今じゃないけど先のことはわからない。
これを逃して遅くなるとしても、それはもうしょうがない。

しょうがないことなんで、早く過ぎ去ってもらいたい。オレのやってきたことなんて、まだ最初のピリオドを打つところにも至ってないのだ。オレを焦らせないでくれーっ







ツイッター短歌史


【2017.2.26】

泳二さん @Ejshimada によるハッシュタグ企画「短詩の風」が例年どおりに行われた。


【告知】今年も『短詩の風』の季節となりました。2月26日(日)22時30分、一斉に短詩をツイートしようという企画です。短歌俳句川柳都々逸散文詩漢詩なんでも構いません。ハッシュタグ #短詩の風 をつけてツイートしてください。
https://twitter.com/Ejshimada/status/832738815605215235

詳しくは
https://t.co/IrCSPePmhU

togetterにまとめられた。
https://togetter.com/li/1085190





オレも参加した。
一度にたくさん流れるから、どれだけ読まれるんだろうと思っていたけど、読む人は読んでくれていて、ハートがけっこうついた。


すこしなら呪われたっていいでーす 駅で運ばれてる段ボール/工藤吉生 #短詩の風


オレもすべて目を通した。キレイっぽい歌だというだけで、自分には関係なく思えてとばしてしまう。
でもそれは人に言ってもしょうがない。オレは、オレがいいとおもうものを作って出したり、紹介したりすることにつとめる。










もうひとつツイッター短歌史。


【2017.2.26】
2月25日に「大阪短歌チョップ2」という大きなイベントがひらかれた。これに関して、山本握微氏 @elevator_p により連続ツイートがなされた。
15ツイートくらいあるが、リツイートの多かったはじめのほうのツイートは以下のようなもの。


今日は「短歌チョップ」なるイベントへ。僕如き短歌に少しだけ興味ある向きには丁度良いイベント!……と勝手に期待して行ったが、界隈の内輪向け集会だったので馬鹿を見た。受付と思しきスタッフは絶えず周囲と談笑して機能せず、そも受付をせねばならないかもわからない。
https://twitter.com/elevator_p/status/835517835061276674

トークとかイベントとかはよくわかんないので常設展だけでも(そも短歌だし、短歌みれたら)と思ったけが、タイムテーブルはあってもフロアガイドは頑に掲示されていなかった(ネットにはあるのに、何故一枚でも印刷しようとしなかったんだろ)。AとかBとか場所を示しているが、それが何処なのか。
https://twitter.com/elevator_p/status/835518950901309440

スタッフに「展示を見たいのですが」と聞く。談笑を妨害されたスタッフは、何故そんなことを聞かれるのか理解に苦しむ、といった風情。「この辺りなので見ればわかります」「この辺りを見れば展示は全て見れますか?」「はい。間違いなく」と随分簡単に断言する。
https://twitter.com/elevator_p/status/835519473276739584

受付の必要性にしても、展示の量にしても、知るものは難しいとは思わないのだろうが、知らない人にとってはそれが全てか、わかりようもない。知らない人、が想定されていない催しだった。なのに、漏れ聴こえるトークでは「如何に多くの人に参加してもらうか」を説いている。

https://twitter.com/elevator_p/status/835519864617906176



つづいて、紺矢いとこ @konya_itoさんのツイート。

昨日行った短歌チョップの「オフ会」感はすごくとてもよくわかる。私は短歌を詠まずに読んで愛好していたけど、それじゃあ短歌のコミュニティに入ることは出来ないのだなあとひしひしと感じた。のんびりとした空気感は嫌いじゃなかったけれど。
https://twitter.com/konya_ito/status/835744060660822016

そこここで「彼が、彼女が○○さんですよ」という挨拶がされ「ああ、あの」と会話が始まる空間であって前提にされているのが短歌を実作している人、それを外に発表している人、既に関係性が出来ている人のための空間であったことは間違いないと思う。
https://twitter.com/konya_ito/status/835744475213225984

何か1つでも小さな関係性があったらそこから輪を広げるためには短歌チョップはすごくいい場として機能していると思うけど、あの場にフラッとやってきて「短歌を読んでみよう、詠んでみよう」という気持ちになるのはなかなかハードルが高くて「短歌会は身内のコミュニティなんだなあ」で終わる気がする

https://twitter.com/konya_ito/status/835744880827613184


これらを受けたと思われる、短歌を外にひらくことについて・イベントのありかたについてのツイートがあちこちで見られた。






二番目のほうがとても長くなってしまったが、一番目より何倍も重要だということではない。togetterみたいなところでまとめられてないから長く引くことになった。
参加できなかったオレに、このイベントについてコメントすることはない。

すこし広げて言うと、オレは初心者の気持ちがあんまりわかんないかも。
オレは興味をもってすぐにネット検索しまくったり、本を探して買ってたからなあ。すぐ知ったかぶりしてた。興味はあるけど知りませんっていう人の気持ちはあんまりわからない。ましてやイベントに先に飛び込んでいくなんて。

初心者に対して面倒見のいいひとはいくらでもいる。オレはオレのことをやる。短歌のことで検索すればオレのブログがでてくることもあるだろうから、そこでお役にたてればいいかなと。



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角川短歌賞予選通過作品「ピンクの壁」50首をnoteで公開しています。400円。
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「短歌人」2017年1月号を読む  ~電車の手すりぺろりなめたり、ほか

最近は、よその結社誌を読むのがおもしろくなってるんだけど、その流れで

「短歌人」2017年1月号

を読んだので感想を書いていきます。



誌面を見ると、「短歌人」は四つの欄にわかれている。同人1・2、会員1・2。ざっと数えると、139人、100人、94人、99人となっていてバランスがよい。顔ぶれやなんかから察するに、同人は会員の上に位置している(オレの知ってるところだと「川柳 杜人」という川柳誌もそうなっている)。


「短歌人」は400人超が出詠していて128ページある。全部まともに読むと長時間かかる。よく知らない結社誌同人誌をあまり長時間かけずに見渡したいという場合はどうしたらいいのか。
オレのやり方は、まず知ってる人の歌を見る。それから評やアンソロジーのページを見て、そこで気になる歌があったらその作者のいるページを探して読む、というふうにしている。





ポケットのなき服不安と思いつつ出でて帰りて何事もなし/古本史子
最初に題詠がある。「ポケット」で数人が8首ずつ出している。「ポケット」で8首ってなかなか難しいと思うんだけど、それぞれ面白かった。



本能をよみがへらせて幼きが電車の手すりぺろりなめたり/中地俊夫「大きな便器」
→おもしろいけど、ちょっとこわいとも思った。人間のなかにある本能ていうのは、電車のなかとかで突然よみがえっちゃったりするのかなと。手すりなめるくらいの本能ならばいいけれども。でも手すりなんて、おいしそうに見えるわけないし、本能ってなんだろなと。
「手すり」「ぺろり」「なめたり」の「り」の効果もある。


ほどほどに清き流れの街川に六羽の鴨はなにか啄む/大橋弘志「秋の声」
→もっと綺麗になりそうなところを「ほどほどに」と抑制している。六羽というところまでは数えられるけど、ついばんでいるのが何なのかまでは見えない、そういう距離感。



燃え上がっているなら消せばいいじゃない通りすがりの誰かが言いぬ/津和歌子「昔話」



弾き慣れた楽器のやうにレジを打つ喉を痛めぬ節回しにて/春野りりん「焼きそば当番」

→レジはオレも打ってたことがあるけど、楽器とまではいかなかったな。熟練している。接客の声は「節回し」になり、さらに音楽的になっている。



1月号は「短歌人賞」が発表されていた。応募者が42人。
ここは塔や未来のちょうど半分くらいの会員数とページ数だが、結社賞の応募者も半分くらいだ。

石鹸でよくよく洗ふ生きてゐるだけで汚れてしまふからだを/大室ゆらぎ「夏野」

車椅子回れ右させ本日の主役の雪を眺めてもらう/西川才象「存在と時間」


受賞作ふたつから引いた。




精一杯過ごしたれども三行の日記を満たすほどにはあらず/森敏子



誕生日同じ季節にいつも来て義父に半袖のパジャマ増えゆく/犬伏峰子

→夏が誕生日なのでしょう。でも、夏だからってすぐに半袖のパジャマということにはならないはずだ。
贈り物って相手の使いそうなものを贈るわけで、そのひとの置かれた状況によってはパジャマが多く贈られるということになってくるのかなあと。
プレゼントによってその人の姿が読者の中でたちあがってくる。



夕やみに佇む人とおもひしがふと門柱になつてしまひぬ/鈴木秋馬



一体となって眠れる海空(うみそら)を今日もわかちて夜明けとなりぬ/蒼あざみ

→映像が浮かんだ。真っ暗なところから、だんだん明るくなって一面の海と一面の空になる映像が浮かんだ。



優しさは傷つきやすさでもあると気付いて、ずっと水の聖歌隊/笹川諒
→理屈っぽい歌なのかと思っているとあざやかに詩へと飛躍する。これはちょっとすごいな。




三角點という、自由な文章の載るコーナーがある。
そこで大越泉さんという方が、自ら歌人と名乗る者がインターネットで料金の発生する短歌講座をひらいているがそれは短歌をなめてるんじゃないか云々と書いているけど、これって「枡野浩一短歌塾」のことなのかなあ。考えすぎかなあ。モヤモヤした。
オレはその短歌講座の塾生でこそないけれども、すこーしだけ関わっているんですよ。

塔に「方舟」っていう、やはり自由な文章を寄せる欄があるけど、オレはそこでは相手が誰かをはっきりさせて意見を書いた。誌面でなにか批判するならゴニョゴニョしないで相手をはっきりさせたらいいのにって思うね。
エアリプはツイッターだけでたくさんだ。



天野慶さんが時評を書いている。
ツイッター、うたつかい、うたらば、ネプリ。そういう言葉を結社誌や総合誌で見ることも珍しくなくなってきたものだなあと思った。
「回収」という言葉に力を入れて、結社誌の役割を問う内容になっている。

ネット発のそういう場所と結社でなにがちがうかって言ったら、まずは層が違う。
NHK短歌テキスト3月号で、ツイッターには奥村晃作さんもいるって書いてるけど、奥村さんは数少ない例で、ほとんどの七十代八十代の歌人はツイッターやってないし見てない。
オレがネットで満足しないで結社にもでてきたのは、もっと広がりたいからなんです。
でもその話を始めるときりがないから終わりにする。
今後も時評は追いかけていきたい。



文字組が纏足みたいになってる(字数の多い歌の文字が途中で小さくなる)っていうのを以前聞いたことがあったけど、もう今はそういうことはなかった。


以上です。



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ぬらっ。ニューヨークは粉雪の中

ぬらっ



大阪短歌チョップ2があった。
行きたかったがだめだったイベントだ。オレがくやしいのは、あまり詳しくは書かないでおくが、さそわれたのにお断りしたことだ。一度近づいてから離れたので、いっそう無念だ。


こういう日は、「永遠の嘘をついてくれ」の歌詞を思い出したりする。無理すれば、人に迷惑をかければ大阪くらい行けたんだろうなあと思って。



歌詞を謙作しようとしたら、おもしろいYahoo知恵袋をみつけた。

ニューヨークは粉雪の中らしい http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12101780187 #知恵袋








最近「きどころ寝」(仙台弁らしい)がふえた。仕事おわって帰ってきて、着替えるのめんどうでそのまま寝て、翌朝仕事いくの。



かたほうの足に母の靴、もうかたほうの足に妹の靴をはいて出勤する夢を見た。
あと、夢のなかのオレはリラックマのぬいぐるみがないと不安で寝れない人になっていた。

オレのなかの弱々しい部分がでている夢だな。



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ぬらっ。散歩みたいなゲーム

ぬらっ



「ダンシングライン(Dancing Line)」 https://play.google.com/store/apps/details?id=com.cmplay.dancingline

っていうのインストールした。音ゲーだけど映像がおもしろい。




ドライブとか散歩みたいな感覚でやれるゲームがあって、そういうのが好き。
ファミコンのころにわりとゆるくやれる「ガンナック」ってシューティングゲームがあって、そんな気分でやっていた。記録に挑戦とかじゃなくて、ただゆるゆるとクリアするのが好きだった。

またそういうふうにやれるといいんだけどな。

ちょっといってくるって感じで始めて、熱中するでもなく、淡く気持ちよくなってさらっと帰ってくるの。それでいて飽きないようなの。



プレステになってからだと塊魂がわりとそれに近かったな。だいたい行くルートが決まってても、やってるとなにか気がつくところがあって飽きなかった。

ものを覚える気があんまりないし、ハラハラさせられたくもないから、惰性でできるゲームがありがたい。



散歩みたいな感覚でやれるゲーム、はしなくなったけど、散歩はするようになって、気温や天気がちょうどよければ散歩はおもしろい。
短歌つくろうとかで散歩しちゃうけど、それがなくてもたぶん散歩はおもしろいんだとおもう。
なんか咲いてるとか、子供がなんか言ってるとか、猫がいたとか、こんな家あったっけとか、いい匂いするぞとか、一本となりの道に入ってみようとか、いろいろおもしろい。



スマホでゲームするようになってみると、かつての、あぐらかいてコントローラーを両手で握る感覚とか、ゲーム機を出したり片付けたりしてるときの感じが、あれはよかったなと思ったりする。




あっそういえば、夢のなかでイレズミ入れたよ。両腕ぜんたいに、ふかみどり色と茶色の。そしたら自分が強くなった気がしたけど、こわがられたくない時もあるから、不便を感じた。




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さよなら、うたう★クラブ

短歌研究2017年3月号を本屋で確認した。

いつもの短歌研究だが、投稿欄にオレの短歌がないのを確認した。2012年春から欠かさず投稿して、ちびちびと短歌を載せてもらっていたが、去年の暮れごろに投稿をやめたのだ。
出すのをやめれば載らなくなる、当たり前のことを確認した。







最初に投稿した雑誌が短歌研究だったけど、きっかけがなんだったのかはよく覚えてない。雑誌に出してみたいと思ったときに本屋にあったのが短歌研究だけだったんじゃないか。

文学の雑誌なんか買ったことないし、
短歌はネット上で無料でばかり読んでいたし、
総合誌って内容が難しそうだし、
なかなかのハードルだった。

雑誌を読みたいというのより、全国で発売される本に自分の短歌を載せてみたいっていう欲のために雑誌を買ったし、買ったら読まなきゃもったいないから読んだ。

投稿欄「短歌研究詠草」も「うたうクラブ」も、出せば載る仕組みだ。それで載った。たのしかった。

動機はなんであれ、総合誌を読みつづけることで頭に入ってくるものはいろいろあった。







初めてメールで「うたうクラブ」に投稿したときに、なみの亜子さんとメールのやりとりをさせていただいて、そのうえうたうクラブ賞までいただいた。
それは嬉しいことで、オレが「塔」に入会するきっかけのひとつになったのだった。
そう考えると、オレに小さくない影響をもたらした欄だった。


斉藤斎藤さんとやりとりしたときには、見よう見まねの軽い気持ちでつかった文語をやめるよう言っていただいた。これもその後のオレに影響した。







ハガキで投稿する「短歌研究詠草」っていう欄は、昔のジャンプ放送局みたいに(っていう例えはわかりづらいだろうな)、毎月の得点が積み上げられていくシステムになっていた。応募券もついてて、買わないと出せない。そのシステムにまんまとやられて毎月買っていた。

去年は短歌研究詠草に力を入れて投稿したけど「そこそこ」止まりだった。そんで、そういうのに疲れちゃったし、あんな小さい三角の応募券のために買い続けるのってどうかと思えてきた。ハガキに五首書くのも楽じゃないからね。
だから、定期購読してたのもやめて、面白そうなときだけ買うことにした。



「短歌研究詠草」は気が向いたときだけ出すことにしたけど、「うたうクラブ」に関しては、完全に投稿をやめることにした。クラブ退部だ。

2012年の「うたうクラブ大賞」がオレには輝かしく見えて、次のそれを目指して続けるつもりだったが、いつまでたっても次が来ないからやめた。十年に一度とかの賞なんだろうか。


そうでなくても、四人のコーチ全員と合計七回のメールのやりとりをすることができたし、うたうクラブ賞は四回もらったし、そろそろいいかなと。

何度もメールでご指導いただいたし、そろそろ自分の歌を自分で少しはなんとかできないとダメだろうと。それができないオレじゃないだろと。


けっこう投稿者の入れ替わりが速かった。佳作があいうえお順で掲載されるんだけど、オレの隣はすぐ違う人になった。あんまり長くいるところじゃないのかもしれないという気になってくる。



そんな感じで、それ以前から引くタイミングを探ってたんだけど、だんだん心が決まった。特に何かあったとかじゃなくて、それまでの積み重ねでそうなった。







ご指導いただいたコーチの皆さん、お読みくださった皆さん、ありがとうございました。

さよなら、うたうクラブ。
うたうとクラブの間の★が、最初から恥ずかしかったし、今も恥ずかしいよ。でもありがとう、うたう★クラブ。





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ぬらっ。2/23

ぬらっ


斎藤茂吉『白桃』を一日50首くらいずつ何日もかけて読み終わった。
つぎは安田純生『現代短歌のことば』にかかる。

そのほかに「未来」を読んだり『カンバセイション・ピース』を読んだりした。

野性歌壇に応募した。フォームから。よくある新聞歌壇とかの応募フォームと変わらない。






ある人にブロックされていたのに気がついた。リツイートがまわってきたから見ようとしたら見れなくて発覚した。
まあしょうがないわな。

関係ないひとでも、こういうのはあまりいい気はしないものだな。狭い世界だからな。避けてても間接的に話がはいってきちゃう。

一度からんだことがあるが(そのひとのあるツイートがさわがれているときに、それに対してエアリプしたらリプライがきたのでリプライを返した)、オレのからみかたもちょっと悪かったなあ。反省。








わけあって妊娠について調べたりした。







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「塔」2016年12月号を読む  ~顔顔顔顔花火、ほか

「塔」2016年12月号を読む。
会員でもない結社誌をどれくらい読み続けられるのか、すぐ面倒になってやめるかもと思っていたが、ついに一年続いた。



母さんに買ってもらった綿菓子もそういえばもう雲にかわった/川又郁人

真夜中に勉強してみる真夜中に分からないから一度寝てみる/川又郁人

→吉川さんが百葉集で「将来が楽しみな新人」というから見てみたらおもしろかった。
綿菓子の歌は「そういえば」の使い方がいい。勉強の歌は「真夜中に」のリフレインがいい。



真剣に猫はなにかを考へてやがてそのまま部屋を出てゆく/清水良郎



もうずっと前に死んだと告げられて時の厚みが倒れかかって、きた/千種創一



見上ぐれば何かいいことありそうなそんな顔顔顔顔花火/坂下俊郎

→花火を見てる時の人の顔って、いいものだ。「何かいいことありそうな」顔とここでは表現されている。「顔」の字が重ねられて、たくさんの花火を待つ顔がある。



心だけ旅に出ている母の背にメダカの餌はやったかと訊く/北山順子



青年と風とボードがあらわれてゼリーのような波に乗りたり/小川ちとせ

→青年があらわれるのは普通だが、風とボードと三つそろってあらわれたみたいに書いてあって、物語の始まりにいるみたいだ。波がゼリーにたとえられて、さらに現実を離れてゆく。

サンダルを提げて裸足で帰りたり海だねほったらかしの海だね/小川ちとせ
→海から帰ろうとしているときのさびしさが表現されているのだろう。遊ぶ人のいない海は、ほったらかしにされている海だ。「海だね」が繰り返されている。来たときも帰るときも、海は海として見えている。



猫の死が流れていった川の面をペットボトルが追いかけてゆく/福西直美



雨の夜 被害者になる未来しか想像できないから 雨の夜/上澄眠



吾が二人ゐる感じする目薬を見上げる眼に目薬おとすは/久岡貴子



カレンダーめくったあとがギザギザで剥がしにくいね今日から九月/吉田淳美

→なるほど、想像できる。そんなところにも年月、季節はあらわれるんだな。
毎月剥がすタイプのカレンダーをしばらく使ってないので、やや懐かしい感じがした。



ヤクルトがあるよ飲みなよと言ったあの顔で棺に横たわる祖母/小松岬



梨色にぼやけた夢のなかだった あなたをわたしはまだ信じてた/紫野春

→梨色、にインパクトがあった。もっとほかの表現にしそうな色だ。「わたしはあなたを」になりそうなところだと思うんだが、ここは「あなたをわたしは」だ。そういうなにげないところがなんだか生々しい。もう信じられない人を、夢は信じさせてくる。



「もしやわれ死んでゐないか」と死亡欄見たりなどして九十七歳(きうじふなな)に逝きし/上杉和子



栗のいがは踏んでひらけといふものを布靴に棘の通りしかの日/真中朋久「ソール」

→なんと、一連が靴底の歌だけでできていた。こういうのは「参った」ってなる。得意な分野や身近に起こったことを題材にするならわかりやすいが、なんで靴底? うーむ。参った。



以上で塔12月号を終わります。
んじゃまた。

ぬらっ。幸綱さんと一千万歌人のこと

ぬらっ。


ツイッター短歌史


【2017.2.21】
田中槐さん @enjutanaka さんのツイートに書かれた佐佐木幸綱さんの発言が話題になった。

「これは僕の持論ですが、歌人というのは年間一千首以上作ること、一千万円以上稼ぐこと、その両方をクリアしていないと歌人と言ってはだめだと言いふらしているわけです。」「短歌研究」3月号佐佐木幸綱の発言(シンポジウム再録)にびっくり。日本に歌人は何人いるのかしら…?
https://twitter.com/enjutanaka/status/834292990612955136







オレは二十日の昼にツイートしたくなったのをぐっと我慢したんだけどなあ。そんなことでみんなをざわつかせてもしょうがないから。短歌クラスタをざわつかせるなんてじつに簡単で、それに価値はなくて、風が吹けば木の葉が揺れるみたいなもんだ。

でもオレが言わなくても誰かが言うんだ。




https://twitter.com/masunobot/status/367710515088211969
いったいだれが、どのような権限を持って、「歌人」と「歌人じゃない人」を、区別するんだろうか。 私は、短歌を詠む人はみんな歌人だと思う。旅する人を旅人と呼ぶのと一緒で。旅をやめたとき旅人でなくなるのです。  [★]かんたん短歌blog

とオレは枡野浩一botに言わせている。オレはこの定義を採用して自分を歌人と言ったりしている。
「歌人」を幻の称号みたいにする必要を感じていない。


「言いふらして」からくるニュアンスを見逃してはいけないだろう。


反響を見ていると、一千万円にばかり人は食いついている。年間一千首は無視か。
千首はその気になりゃつくれそうな数字だよな。
その気になりゃできそうなことと到底無理なことのくみあわせの妙。
だが「その気になりゃできそう」を一生やりつづけるのはたいへんなことだ。

一千万円はパッとしているが、パッと目をひくものの影にこそ、大事なものがあるんじゃないか。



オレは年間750首くらいしかできない。
750首あれば、
いくつかの新聞歌壇に毎週投稿して、
雑誌に毎月投稿して、
結社に出詠して、
新人賞に連作を出して、
いくつかコンテストに出せる。
それでもひとつの歌を直して再利用することがあればすこし余るくらいだ。
今のオレの活動だったら750で充分で、年間千首いらない。千首あれば目についたあらゆる場所に投稿できるな。
いや、「歌人」は投稿なんかじゃなく、依頼されて大きな連作をつくるだろう。


二人の息子を激励するために言った 、という説が好きだな。

シンポジウムってことは、短歌研究の読者に向けてしゃべってるわけではない。ましてや、聞きかじりのことですぐざわざわする、詳細も確認しないで拡散をおこなうツイッターの短歌クラスタとかオレを相手に言ってるんじゃない。それらを相手にするなら言い方が変わるのではないか。


誌面の文字だって、シンポジウムの発言を加工してる可能性はある。
オレは幸綱さんのテレビでの発言(オレの歌への評)を文字にしようとしたことがあるが、ゴニョゴニョしててむずかしかった。
発言を文字にするのってむずかしいよね。そのまま文字にしても意味が通らなくなったりする。読みやすいってことは、加工を疑ってよい。およその意味は変化してないにしても、意味以外のほんのささいなところで言葉の印象って変わるから。

つまり、話半分でいいんじゃない? ってことです。







その他。


リムーブされたからきらわれた、みたいな思考は、くっつけなくていいものをくっつけてる考え方だ。しかししかし、くっついてきてしまう。



歌はともかくあいつは人間として嫌い、みたいな評価はオレだったら痛くも痒くもない。歌まで巻き込まないでくれるんなら、歌は歌でちゃんと読んでくれるんなら、ありがたいじゃないか。
逆だったらへこむだろう。



「プレバトの先生になれるよ」と言われた。短歌と俳句を区別しない人から。
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